時々日刊たえ新聞
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2005年01月16日(日) 新しい牧師

下の日付に書いた「宿題」は、本日未明完了しました。あぁ、しんど。(^_^;)

我が教会は、2003年3月末に牧師が辞任されてから無牧師です。しかし、4月から二人の牧師が着任されることになった。現在、福岡の姪浜教会の牧師をしておられる奥村敏夫牧師と、3月に神学校を卒業される石橋大輔牧師のお二人。10月初めの教会総会で奥村先生を招聘しようという決定をした時、わたしは総会の議長でした。奥村先生に来ていただけるなら、こんなにうれしいことはない。こんなにうれしい決定をする議事の進行役をさせていただいて幸いでした。夢は膨らむ。受けていただく前からワクワクした。でも受けていただいた後もここで公表することが出来ませんでした。姪浜教会の人々がどんな気持ちでいるだろうかと思うと、無邪気に喜びをあらわに出来なかったのです。
そして今日、奥村先生ご夫妻が事前に札幌教会に来てくださって、説教して下さり、説教の中で姪浜教会の皆さんが喜んで先生を札幌に送り出してくださることを知って、本当にうれしかった。ありがとうございます。無邪気に喜ばせて下さい。姪浜教会の上に、ますます神さまの祝福があることを信じ感謝します。

今日の礼拝、奥村先生の説教をむさぼるように聴いた。ヨハネ4章35節〜38節から「ある方向転換」と題して。
先生は初めから、聖書の箇所から語られずにそれ以前の「サマリヤの女」の話をされた。う〜む、週報では聖書の箇所を間違えたかしら?(と気になった)しかし語られる内容に引き込まれてそのうち気にならなくなった。(笑)身持ちの悪いサマリヤの女を奥村先生は「飢え渇きが尽きない女性」と表現された。彼女は7番目の男(笑)イエスさまと出会ってその渇きが癒され、それからの人生を方向転換したと言う。その地の誰とも親しくなれない女、人々から後ろ指さされ続けた女が、イエスさまと出会って言葉を交わして「この人はキリストだ」と直感して、水がめをそのままそこに「置いて」人々の中に入って行って、言わずにいられなかった。「さぁ、見に来て!この人がキリストかもしれません!」
サマリヤの女の魅力を先生が熱く語られる。サマリヤの女の無邪気さ、明るさを想像して気持ちがいい。単純で熱い。「悔い改める」ってことは「方向転換すること」と先生は言う。方向転換は到達点を求められてはいない。なるほど。サマリヤの女のように踵を返して人々の中に入って叫べばいいんだ。自由奔放に生きてもなお渇きがあった彼女が、向きを変えただけで渇くことがない上に溢れる程に満たされ続ける。わたしもサマリヤの女の一人。わたしも単純に生きたい。

今日の教会は皆ウキウキしていた。奥村牧師ご夫妻の明るさが乗り移ったみたい。(笑)牧師の説教一つで、元気が湧き出ることがあるのです。それは説教する人がすばらしいというより(いえ、確かにすばらしいんですが^^;)説教される方が神さまに忠実に語られるからでしょう。感謝。


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