時々日刊たえ新聞
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2005年01月10日(月) 苦痛

年末年始は何をしなくちゃいけないってこともなく、のんびりお休みを満喫した。1月3日この日はまだお休み日。明日からお仕事って朝で、起きたら首が痛くてしょうがない。寝違えたかな?去年からこのての寝違えのような「首が回らない」ことが何度かあった。10月に首が回らなくなった時は整形に行き、その後整骨院にも行った。その時も仕事は出来たし大して心配もしていなかった。が、3日の朝は次第に痛みが増して昼前には全く動けなくなってしまった。体を動かすってことは首も確実に動いているんだね。おそらく体のすべてが一緒に動くんだなと気付いた。自分の体が悲鳴をあげるのを座して耳を澄まして聞いた。

後頭部がズキンズキンするので「これは整形だけの問題じゃないんじゃないだろうか?」と気になり始める。正月休みで病院もお休みなので受診出来ず。一応救急病院を調べておく。こんな時はクリスチャンの神頼み(笑)「神さま、痛みを取り除いて下さい。治して下さい」と断続的に祈る。長く祈っていられない。痛みと不安で祈りに集中出来ない。すぐにあらぬことを考える。つまり悲観的なことを想像してしまう。教会員で医師のTさんに電話して聞く。「手に痺れはないの?」と聞かれて「ない」と答える。「それなら骨がどうのこうのではなさそうだ」と言われてちょっとだけ安堵する。その夜はソファに背中をもたれさせ首に当て物をして眠った。時々横になると頭痛が頭の中いっぱいになる。どの動作も飛び上がるほどの痛みが走りすこぶる時間がかかった。唾を飲み下すのにも痛みが走る、ストローで水分補給するのさえ苦しい。
結局翌日朝一番に整形外科に行き、ブロック注射を5本打たれて少しだけ痛みから解放された。職場は仕事始めで滅茶苦茶忙しいことはわかっていたけれどお休みをいただいた。

今回のことでわたしは痛みに弱いことを知った。動くことも出来ない時に人は何をするか。祈る、疲れて打ちひしがれる、ひたすら痛みに耳をすます、つまり何も出来ない。(笑)今後は、痛みが持続する時、如何に痛みに慣れるかってことが課題になると思う。確信できたのは「この痛みをわからない神さまではない」ってこと。苦しい時、伴なうイエスさまがいるってことは直感出来た。感謝。

現在は首の痛みは消えつつあり、体もバランスよく動き始めました。(肩凝りが残っています)しばらく掲示板はお休みさせていただいて、ネットも家事も手抜きで参ります。どうぞご心配なく。


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