小才は、縁に出会いて、縁に気づかず、中才は、縁に気づいて、縁を生かさず、大才は、袖すりおうた縁をも生かす。 柳生宗矩袖すりあう縁を損得や、感情で処理してしまってないだろうか?そしてその生かしていないほとんどの縁は、実は自分にとって本当は有効な縁にならないのだろうか?街ですれちがうほとんどの人は見知らぬ人だが、知っている人であればなにがしらの縁がある。また知らない人であっても、ほんの一言がきっかけで新しい縁が生まれる...