だだの日記
強盗で乳児が殺された母親が自殺した。
数日前、強盗犯に生後数日の赤ちゃんが殺されるニュースを聞いた時、 赤ちゃんが生まれた幸せから 一気に絶望の底に突き落とされたご両親の気持ちを想像し、 もしかしたら、という危惧を感じていたが、 まさかその通りになるとは。。。
やるせない気持ちというか、なにもできない自分の無力感を感じた。 普段、あまり人に対して感情移入をしないのだが、 この時ばかりは、ひどくふさぎ込んだ気持ちになってしまった。
もしかしたら、池澤さんの「静かな大地」とダブらせていたのかもしれない。
僕自身、最近、死についてよく考える。 年をとったのかな。 著名人の方でも僕ぐらいの年で死ぬ人は少なくないし、 死が身近なことのように思われる。
そこで、同じく池澤さんの「真昼のプリニウス」の一節が思い起こされる。
「キツネに追われて、その牙に捕まった瞬間にも、 ウサギはしまったとか、やれやれこれで終わりかとかは思っても その運命を不当だとは思わないのではないのではないか。 それを自分の生の中断ではなく突然の完成として受けとめ、 満足感を感じるのではないか」
自分自身、あまり「生」には固執していない。 こんな性格だから、なかなか社会とはなじめないし。 どうせ死ぬのなら、いつ死んだって構わないと思っている。 この小説に出てくるウサギのように、 志半ばというより突然の生の完成と思うことだろう。 ただ、生きている限りは、よりよく生きたいと強く願う。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に出てたエピソードだったと思うが、 外国人から見れば、”切腹”とはおよそ信じられない野蛮な行為。 しかし、”切腹”という行為や概念、思想によって、 サムライは”死”を恐れるものではなくコントロールできるものだと捉えられていたらしい。 それを読んだ時(知った時)は新鮮な驚きを感じたが、 結局、自分自身もそんな心境、心構えなのかもしれない。
|