だだ争論

だだの日記

2007年08月13日(月) 大いなる闇の中で、光に還れ

いつだってもがいている。
暗闇の中を、もがいている。



山の話だ。
今年の8月13日は新月であった。
山の計画を立てている際にその情報を知り
密かに期するものがあった。
人工の光がない山の中なら、さぞかし星がきれいに見えるだろう。
しかも、13日は、ペルセウス座流星群が極大を迎える頃。
とてもいい状況で観察できることを楽しみにしていた。


当日は見事な快晴。
その日の太陽を西の空に見送った後、
星が一つ、また一つと輝き出す。
寝支度を済ませて再び空を仰ぎ見た時には、
全天を覆うかのような星々だった。
これほどの星を見た記憶は、僕にはない。
じーっと上空を見上げていると、
なにもない闇の部分から光がこぼれ落ちる。
流れ星だ。
スーッと光の線を残して、あっという間に流れる。
時間を忘れて、ただ見入ってしまう。
星空に吸い込まれそうだった。


次の日は朝4時に起きた。
山頂で御来光を望むためだ。
ヘッドライトの明かりを頼りに頂上に辿り着く。
まだ時間が早かったからか、先客は一組のみ。
祠を風除けにして腰を下ろす。

いつの間にか上空では星が消え、
漆黒の闇から群青へと変わりつつあった。

東の空が赤みがかり、群青が少しずつ薄明るくなっていく。
太陽の登場はもうそろそろだろうか。
雲が多いので、御来光の瞬間が隠れないかが心配。

気付けば山頂には人が集まっていた。
みんな、静かに東の空を見入っている。
きっと僕と同じ心境なのだろう。
そこにいる全員の気持ちが通じ合っているかのような錯覚を覚えた。


やがて、東の山脈の稜線に金色のラインが見えるようになり、
すぐさま太陽が出現。
あっと思う間もなく、圧倒的な光に包まれた。

その瞬間、不思議なことに邪念や雑念がまったく消え、
清らかな気持ちになれた。
光はまぶしかったけれど、
視線をそらさずに、ただ呆然と無心に光を浴びていた。

洗礼を受けるというのはこんな感じなのかな、とふと思った。
太陽の前では、見栄をはることも、ごまかす必要もない。
嘘も穢れもない、素直な気持ちだった。
もしかしたら、太陽は、世界を肯定する存在なのかもしれない。
太陽は無二の存在であることを改めて感じた。


場所を移動しようとすると、若いカップルの姿が視界に入った。
案外、御来光を見ながらプロポーズするというのも妙案かもな、
と考えていた。


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