だだの日記
昨年の11月、仕事で神戸のイルミネーションを 調べていた時のこと。 ある商業施設から、 今回は6433個のLEDを使うというアンケートが返ってきた。 6433個? なんとも中途半端な数字に訝しんでいたところ、 この数は阪神・淡路大震災で亡くなられた方の 人数だと教えられた。 それを聞いたときは、 あっそうなんだ、ぐらいにしか思わなかったが、 なんとなくこの数字をネット検索にかけたところ、 自分の子供を亡くした方のHPに行き着いた。 当時の様子が刻々と語られていて、 その方の被害状況や悲しみが リアルに伝わってきた。 それまで他人事というか、 客観的にしか捉えてなかったが、 亡くなられた方それぞれに生活や家族、 人生があることを痛切に感じた。 この瞬間から、6433という数字が、 一人ひとりの命を積み重ねた 重みのある数字に変わった。
先日、池澤夏樹の「イラクの小さな橋を渡って」を久しぶりに読んで ふと上記のようなことを思い出した。 この本は、2002年10月にイラクを訪れた著者が、 現地の人々や風土をレポートしたもの。 本来はメソポタミア文明の取材旅行だったわけだが、 (このあたりは同著「パレオマニア」に詳しい) イラクの現状を目の当たりにし、緊急出版することになったらしい。
「もしも戦争になった時、どういう人々の上に爆弾が降るのか そこが知りたかった―」
実際のイラクは食べ物も豊富でおいしく、 人々は明るくみな親切。 ごくごく普通の国だったそうだ。 とても戦争直前という影を負った感じではない。
「戦争というのは結局、この子供たちの歌声を 空襲警報のサイレンが押し殺すことだ。 恥ずかしそうな笑みを、恐怖の表情に変えることだ。 それを正当化する理屈を、僕は知らない。」
僕が最初にこの本を読んだのは2003年1月。 外国へ旅立つ前日。 政治・外交レベルではなく、民衆レベルでイラク問題が語られていて とても興味深かったことを覚えている。 そして、滞在先のロンドンで大規模な戦争反対のデモに遭遇した。 言葉は分からなくても、みなが平和を願うその光景に心打たれた。 道中さまざまな国籍の人と出会い、 この問題について話をする機会もあった。 (とりあえず、ブッシュの悪口を言っておくと、誰とでも仲良くなれた(^.^)) また、英国航空(ヒースロー空港?)へのテロ予告もあり、 厳戒態勢の様子も報じられていた。
旅先がヨーロッパだったからなのかもしれないが、 この問題に対して、国際的な視野から捉えることができて いい経験をさせてもらったと思う。 いろいろ考えることが多かった 恐らく、この時期日本にいたら、 日米同盟や自衛隊派遣など、日本側からの視点が 論議の中心になっていただろうから。 もっとこの状況に身を置いておきたかった。 戦争が起こって欲しくない反面、 もしそうなったら、この国ではどういう報じられ方をするのか、 人々はどういう反応を示すのか、見ておきたかった気持ちもあった。 複雑な心境のまま帰国の途についたのを覚えている。
話がずれてしまったが、結局何を言いたいかというと、 戦争や事故、災害を、数の論理にしてはいけないのだと思う。 地震での6000人も、戦争での数万人も、鉄道事故での100人も。 亡くなった一人ひとりの命は等しく同じものであるわけで、 被害者の規模で悲惨かどうかは計れない。 規模が大きくなればなるほど、感覚が麻痺してしまいがちだが、 このことをけっして忘れてはならない。
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