だだの日記
2002年10月25日(金) |
「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが…」 |
金曜日は朝から胃が痛い(というか落ち着かない)。 今日も精神的に疲れぐったり。 一週間の疲れが一気に来る感じ。
■今日おもしろかった話(メモ) <国民国家形成時における桃太郎の役割> 福沢諭吉が桃太郎のことを「ひれつせんばんなり」と評していたのは 『母なる自然のおっぱい』を読んで知っていたが、 それを今日みんなに紹介したら、もう一歩踏み込んだ話をして頂いた。
「今日、桃太郎の話と言えば誰もが共通の認識を持っている。 しかし、もともと桃太郎のように口承で伝えられるものには 語りのなかに揺らぎがあり、地方によって複数のエピソードがあった。 例えばある地方では、桃太郎がぶらぶらしていて家から追い出され、 しょうがなく鬼退治に出かけたというものもある。
しかし、今日知られるのはほぼ同じエピソードであり、 その画一化の背景には、 国民国家形成における教育的利用が挙げられることは否定できない。 桃太郎が鬼退治に出かけ、彼らを征服し、宝を略奪して戻る。 この話を読んだ時、読んだ者は自分達が桃太郎であることを疑わない。 これを読んだ子供は、けっして鬼の側には姿を重ねない。
このような国民教育に利用されたフォークロアの例は日本だけに限らない。
しかし、この読みが可能なのは内地に住む人々だけであって、 北海道や朝鮮の人たちは侵略者こそが桃太郎とも読めるだろうし、 南洋諸島の人たちは侵略者を浦島太郎が来たと認識するかもしれない。
しかし、国民統合が完成されたら桃太郎の読みは一つ。 日本の場合はその途上であった。」
「其鬼心邪にして我皇神の皇化に従はず、…世にも憎くき奴に御座りますれば、 私只今より出陣致し…」 この巌谷小波の『日本昔噺』が書かれたのは日清戦争の直前である。
「明治以後は、小波が過度にまで児童文学的修飾を加えたために、 かえって侵略の趣は倍加された。それがまた明治政府の政策に沿ったのは 皮肉なことであった」(野村純一『新・桃太郎の登場』)
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福沢諭吉『ひゞのおしへ』(メモ) 「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。 けしからぬことにならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、 たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、 もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。 もしまたそのおにが、いつたいわろきものにて、よのなかのさまたげを なせしことあらば、もゝたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、はなはだよきことなれども、 たからをとりてうちにかへり、おぢいさんとおばゝさんにあげたとは、 たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり」
■昨日おもしろかった出来事 ネットで調べ物してたら読書系サイトに行き着いた。 ちょこっと覗いてみたら池澤夏樹を絶賛してた。 どんな人だろうと思ってプロフィール見たら翻訳業の方だった。 ゲストブックも覗いてみたら、よく拝見する人の名前を見つけた。 ネットっておもしろい。
■一昨日のざんねんな出来事 神戸松蔭女子学院大学に電話。 予想していた時間よりも早く上映されることがわかった。 ざんねん。
【200時間ヒアリングマラソン】 ・映画「マーシャル・ロー(THE SIEGE)」 (120min) 緊迫感が伝わってきておもしろかった。 デンゼル・ワシントンがかっこいい。 英語も聞き取りやすかー。 ・映画「リッチ・アンド・ストレンジ(RICH AND STRANGE)」 (90min) やっつけ仕事の感が出てきた。 前半はヒッチコックとしては異色の雰囲気を出していたが、 後半はお決まりのパターンだった。
見た洋画を時間に加えているが、上映時間ほどには英語を聞いてない。 字幕に頼ることのほうが多い。ずるいと言われそう。 でも、そこは英語圏の文化、背景に触れて英語理解を助けるという拡大解釈を適用して(^^;)
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