★ 夏海の日記 ★
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2006年07月25日(火) |
エリアスタッフ応募 ^^v |
私は『浅見光彦倶楽部』というものに入会していて、 それは、『内田康夫』さんという、推理小説家の本の主人公である『浅見光彦』さんのファンクラブなんだけどね。 で、今回の軽井沢訪問は、その倶楽部の倶楽部ハウスへ行くこともが目的の一つだったんです。 でね、倶楽部ハウスで入館の受け付けをしたら、『エリアスタッフ』募集の文字がっ! 『浅見光彦』さんは、旅雑誌のルポライターで、浅見さんが出る作品はサザエさんのような、旅情ミステリーが主です。 なので、その地方地方での方言チェックや、ジモティーな場所の提供など、 作品を作るお手伝いをする人を募集しているみたいなんです。
応募には、原稿用紙1枚の文章の提出が条件としてあり、テーマは『わが町自慢』など、何でも良いらしいので、 何をテーマに書こうか ずーと悩んでました。
自分の町を舞台にした本が出るのは嬉しいです。それに参加できるのは、嬉しい。 でも、街をテーマに書くよりも、もっと知って欲しいことがいっぱいあって、 取り上げて欲しいテーマがある。 で、内田センセの奥様と話をしたときのテーマだった『家庭』について、書いてみようかなって思って。
以下、提出した文を載せます。
題:ニオイ
最近は除菌流行りで、何でもニオイが付かないってのが『ウリ』になっています。 「あんなに汗をかいたのに、汗臭くなーい!」とか、 「たばこの臭いがつかない!」とか、 洗いたてのままの香りが一日中持続とか、 部屋の消臭やら...
生乾きの洗濯物の臭いは、確かに臭いから嫌いなので、ない方が嬉しい。 タバコの臭いが 髪の毛に染み付かないシャンプーも、確かに嬉しいけど、 でも、考えてみて下さい。 ニオイって、大切なものじゃないの?
ネコや 犬、その他の動物は全て『なわばり』があります。 ネコが顔をこすりつけるのも、犬がおしっこをするのも、どちらも自分の縄張りに『自分のニオイ』をつける行為。 自分のテリトリー(行動範囲・安心できる場所・縄張り)をアピールするために、 自分のテリトリーを確保したり、広げたりする為に、 自分のテリトリーを他者にアピールする為に。
赤ちゃんは、生まれてからしばらくは、目が見えません。 じゃぁ、どこで『お母さん』(自分を守り、おっぱいをくれる人)を判断するか? おっぱいのニオイや、体臭から なのだそうです。
ネコや犬を お母さんから離した時、安心させる為に お母さんのニオイのするもの(毛布とか)を一緒にあげるって知ってます? 仔犬や子猫に、ここが安全な場所だということを知らせるために、そのニオイのついたものは、大切なマストアイテムです。
人間の感覚の中で、一番強烈な思い出があるものは何か知っていますか? それは、ニオイなのだそうです。 お味噌汁のニオイ ご飯の炊けるニオイ 夕方の寂しいニオイ 夏休みの朝のラジオ体操の時にかいだ 空気のニオイ 川で遊んだニオイ 海で泳いだ時のニオイ 金木犀の匂い くちなしのニオイ くりの花(どんぐりとか)のニオイ 夜桜を見に行った時のニオイ お祭りの屋台のニオイ カキ氷のニオイ 桃の 梨の スイカの メロンの おでんの カレーライスの・・・
ニオイを嗅ぐと、その時の思い出がよみがえってきた経験はありませんか?
私はニオイで 「この人好きだ〜」「ああ、やっぱりダメだ〜」 っていうことがあります。 安心できるニオイ、この人なら大丈夫だとか、この人のニオイを嗅ぐと 落ち着く〜とか。 そう言えば、中学校の時に憧れた男の子のスポーツバッグから、柔軟剤の良いニオイがして、私の母親は、そういうの使わないタイプだったので、一度も会ってもいないその子のお母さんに憧れたこともあったな。 好きな人の体臭を嗅ぐと、落ち着いたり、 この家は他人の家、この家は自分の家っていうのは、ニオイで判別したりして、自分の家に着くとホッとするのは、嗅ぎなれたニオイがするからだったりします。
自分のニオイと 人のニオイは、当然だけど違って、同じ香りの香水を使っても、私と友達では 香るニオイが違います。 それは、香水って、それそのものの香りと、時間が経って体臭が混ざって、『その人の香り』になるからなんですけど、体臭自体がないとなると、みんなが同じニオイになります。 それって、不気味じゃありませんか?
例えば、体調が悪いと おしっこのニオイが臭くなるって 知ってまか? ウンチもそうですよね? 胃が悪くなると、口臭が酷くなることや、歯槽膿漏や虫歯、風邪を引いた人のニオイ。 お母さんは、赤ちゃんのウンチの色やニオイで体調を知ります。
好きじゃない人の介護をする 最強アイテムとして、排泄物のニオイを無くすサプリメントがあるのは、悲しいことだけど仕方がないことだと思います。介護は、奇麗事じゃ済まないことですから。 でも、でも 自分のニオイを失くして、無機質になってしまって良いの?
同じ服を着るように、 同じ香水で 他人と同じニオイになってしまって良いの? みずから『オリジナル』な存在であることを放棄しても良いのですか?
私が子供の頃住んでいた町は、3つのエリアに分かれていて、それは、養鶏が盛んなエリアと養豚が盛んなエリアと、都会と。 その中の養鶏が盛んなエリアに暮らしていて、外に干した洗濯物には、鶏の糞のニオイが染み付いていました。 そこから引越して大人になり、家の近所の養鶏場の傍を通ると、「臭い」という思いと共に、何だかホッとするようなノスタルジックな感じがします。 臭くて嫌いな街だったけれど、あそこが私のホームだったんだなぁって思います。
今の日本の家庭の多くは、玄関に入ると玄関の芳香剤が、部屋へ入ると部屋の芳香剤が、トイレに入るとトイレの芳香剤が置いてあり、部屋の生活臭を消す為に、消臭液を散布したりして、生活臭を消しています。 自分の家オリジナルなニオイではなく、どの家にいても同じニオイで、 では、どこへ行けばホッとできる場所なんでしょうか?
苛められて泣いて帰って、玄関を開けた時に香る家のニオイにホッとした子供時代があります。 そのニオイが、苛めた子の家と同じ芳香剤を使っているならば、その家は、心から安心できる場所でしょうか? 自分の魂が帰る場所であるところの家が、どこの家でも同じニオイだとしたら、子供達の魂はどこへ帰れば良いんでしょう? どこへ行けば、心からリラックスし、ホッとできるハウス(箱)ではなくホーム(居場所)なのでしょうか? 母親のニオイが、どの女性とも同じだとしたら、子供達は誰に甘えれば良いんでしょうか? 魂の帰る場所のない子供達。そして、魂の帰る場所を作れない親たち。 最近の悲しい出来事を考えると、ニオイの存在がとても軽く扱われているような気がして、仕方がありません。
ニオイのない『無機物』になって良いのですか? ニオイって、その人の人生や年輪だと思います。 ニオイって、好きな人を識別する大切なものだと思います。 ニオイって、自分を守る『その人固有』の特別なものだと思います。 ニオイを失くして、動物ではなく、みずからを『機械』にしてしまっても 良いのですか?
色んな菌から逃げ、ニオイを失くして、 日本は これから どこへ行くのでしょう?
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