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例の如く、愛読している中日新聞からです。今朝の新聞に、「やられた〜!!」って泣きそうになるほど心に響いた詩が載っていたので、紹介します。 歳をとるほど どんどん大胆になるわ 好きなことを やるのよ 失う何が あるというの もっともっと 大きな声で わたしは ずっと誇りに感じるわ 好きなことを やるのよ 失う何が あるというの あの人たちは ほろ酔い機嫌にしておくわ でも 今 わたしは 吼(ほ)えるのよ あまりにも長い間 わたしは従順だったわ きれいにしていなさいと 言われ 甘い言葉で 気をそらされて 驚いて 飛びのこうとすると 脅されたの でも 今 わたしは 彼らに 見せてやれるわ 今 そんなことは ひっくり返せる テーブルを ひっくり返すみたいに あらゆるレッテル 投げ捨てて── 鬼婆 小言屋 醜い女 くず 役立たず のらくら者 老いぼれ雌羊 それ以外にも もっと沢山 わたしは 自分の空間を 要求するの 顔を 誇示して あらゆる束縛は はねのけ レースで 競争したりさえして なぜなら わたしは 歳をとるほど どんどん大胆になるのだから 何を失うと 言うのよ 私の好きなようにやるわ 老いは「衰え」でも「みじめ」でもなく、主体的に切り開いていく新しいライフステージ──。そんな前向きな込められたメッセージが込められた英国のフェミニスト詩人アストラさん(75歳)の訳詩集『歳(とし)をとるほど大胆になるわ』(菁柿=せいし=堂)が出版された。訳者で、椙山女学園大学教授の岡田宏子さん(61歳)に、老いを生きる女性を力づけてくれる「アストラ的生き方」のガイドをして貰った。(砂本 紅年) ──作品にみるアストラの魅力は。 「老い」の時代を新しく切り開き、豊で元気な老後を送ろうと提案しているところでしょう。私たちの文化は「若者中心主義」に偏っているので、老いが「衰退」であり「醜く」、誰かに頼らないと生きていけない「依存」のステージとみられています。一方、アストラは詩の中で、老いは、若いときのしがらみから解き放たれ、自由になれる熟成した「自立」のステージであるとうたっています。老いても、自分の可能性を追求し、まだ発展できるんだ、と。 ──従来の老いのイメージを打ち破ろうと。 特に、女性の場合は年をとると、もう女ではないような扱われ方をします。男性にとっては成熟の証しなのに、女性にとっては単なる老化というわけです。アストラは「淑女って誰?」と題された詩などで、こうした年齢差別と性差別の二重の偏見に強く反発しています。 ──老いへの不安も率直に表現されていますね。 女性なら誰でも感じる日常的で当たり前の問題に真正面から向き合っています。初めて発見した白髪や、口の両側に刻まれた深いしわ、目尻の小じわ、閉経...。身体的な老いの兆候を見て実感したショックから目をそらさず、かつ冷静に観察しているので迫力があります。 ──老いても恋人を求める感情、孤独のうちに迎える死なども。 女性は、例えば母になった途端、「いいお母さんでないといけない」という「良い自己」にとらわれ過ぎて、自分を縛っていきますが、アストラは「ありのままの自己」を書き得たと思います。老いは、死を前にした恐ろしくて不安なものだけれど、現実をしっかりと見つめることから、生の意味が明らかになるのです。 ──現在、女性の平均寿命は85歳、2050年には約90歳になると推計されています。 老いは女性にとって、平凡ですが、最も切実な問題といえます。男性より長生きですしね。若いころから自立心を育て、老後は経験を生かすと同時に、新しい自分を育てる。そして、、自分のためにも人や地域のためにもなることをしながら、元気に楽しく過ごす。それがアストラの提案する生き方の理想です。 アストラ 1927年、米国ニューヨーク生まれのユダヤ系アメリカ人で、62年以降は英国に住む。離婚家庭に育ち、自らも離婚後、幼稚園の先生をしながら2人の息子を育てた。40歳ごろからフェミニズム運動にかかわり、現在、高年齢女性のフェミニストグループ「オールド・フェミニスト・ネットワーク」の代表。『歳をとるほど大胆になるわ』(Older and Bolder)は90年、ロンドンで出版された。 問い合わせは、菁柿(せいし)堂 電話03(3359)9064 今日の記事の内容は、「女性の老いについて」だったけど...ドキっとした言葉 『女性は、例えば母になった途端、「いいお母さんでないといけない」という「良い自己」にとらわれ過ぎて、自分を縛っていきますが、アストラは「ありのままの自己」を書き得たと思います。老いは、死を前にした恐ろしくて不安なものだけれど、現実をしっかりと見つめることから、生の意味が明らかになる』 何も くっつけない 何も飾らない 何も無理しない 娘でもなく、妻でもなく、嫁でもない 何にも縛られない『ありのままの私』には、修飾詞のなにもない『素の状態の私』には、一体どんな価値があるのでしょうか...。
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