★ 夏海の日記 ★
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お葬式が終わった次の日の朝、宿泊した保養所から朝食も摂れずに出発 7:30から 家で読経が始まりました。 その後、8:00から お寺に移り、 お坊さんの読経 → 念仏ばあさん(通称)の御詠歌 → お坊さんの読経(お焼香) → お墓の前で、読経 ここまでが、その土地の『お葬式』なんです。(この朝行(あさぎょう)を、仕上げと言っています) なので、朝8時にも関わらず、伯父の従兄弟やら友達、漁業関係者など、多数の人達がお焼香に来てくれました。それは それは 凄い人で、びっくりしました。 (そして、この朝8時からの『朝参り』は、亡くなった人の家族で、初七日まで毎日続くのです)
家に帰って朝ご飯を食べ、今度は伊勢志摩スカイラインの展望台の隣にある『たけさん(通称:どういう字を書くんだろう?)』に登って、卒塔婆を立てて貰いに行きました。 お墓にある卒塔婆を想像しては、いけません。それは、大黒柱になりそうな勢いの(でも、金額によるんだけど...)、太い四角い角材です。 受付で戒名を言い、施主の名前を記入して、読経の始まりです。 あまりに太い卒塔婆なので、その日のうちに建てることができないので、『何番地に建てた』という通知を、後日ハガキで通達されます。
この地方では、その山が神聖な山で、亡くなった人は四九日かけて、その卒塔婆を目印に旅をするのです。そして、そこから天に昇ると言われています。つまり、伯父の旅は、まさに今 始まったばかりなのです。
卒塔婆を建てた後は、それに参座した人をねぎらう(お礼?)の宴会をする習わしなのだそうです。そこで、伊勢市内のお店で宴会が始まりました。お酒を飲んで、めーいっぱい食べて...そこを出たのは、3時頃だったのかな。
伯父の家に帰って4時。もうすぐにでも帰らないと。(夫には、2時か3時に出るからと言ってあるし)伯父の位牌にご挨拶。祖父母のお仏壇にご挨拶をして、みんなにご挨拶して帰路に着きました。眠気と格闘しながら(後ろを気にしながら)120km/hで。(あれ?制限速度80km/hだったっけ?)
母を家に送り届ける途中で、ものすごい煙を発見。火事です。 それも、実家の 隣の隣が(風がないのが幸いでした) 消防車もまだ到着しておらず、ヤキモキしているうちに、どんどん火勢は強くなっていきます。野次馬が群がり始め、消防車や野次馬の車で私の車が帰れない状態になってしまったので、夫に実家まで帰り着いたこと、このサイレンは、実家の隣だということ、車が出せないので、騒ぎが静まるまで帰れないことを伝えました。 やっと家に帰れたのは 8時過ぎ。てっきり食事が終わってるものだと思っていた夫が、私の帰りを待っていたので、2人でカレーを食べに出掛け、帰ってきたのが9時半過ぎ。 やっと私の 長い 長い 一日が 終わりました。
それにしても、田舎のお葬式って、大変だわ。一つ隣の地区でも、風習が微妙に違うし。それを、やいのやいの言う義伯父に責められて、喪主をしていたイトコが可哀想でした。思わずハグして、頭をなでなでしちゃったよ。 お料理から、卒塔婆の料金、おもてなしの料金など、お金の問題やら、これをやれ、これをやっちゃいけない の風習。よく頑張ったなぁ。偉いなぁ。
その 一番うるさかった親戚が、実は パパとママだったりする。 ....私の実家、私の家の誰も、パパとママより早く死んだりしませんように。 (いや〜 パパもママも、夏海は大好きなんだよ(^_-)-☆)
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