★ 夏海の日記 ★
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2001年09月24日(月) |
身近な人との死別〜悲嘆の人に心のケアを |
例の如く、新聞からです。何か参考になるでしょうか...。
【本文】 家族を不慮の事故や病気、自殺などで亡くした人の悲しみは深い。ショックでふさぎ込み、病気になったり、社会から孤立したりする死別体験者も少なくないが、日本では、こうした人の心のケアは立ち遅れている。そんな中、精神科医や自殺防止に尽力するボランティアグループ『グリーフケア(悲嘆援助)・サポートプラザ』を結成した。
略
『グリーフ』とは、悲嘆や悲哀を意味する英語。家族を亡くす「喪失体験」をした人が直面する悲しみだ。家族が精神障害などの病気になった場合も、同様の悲しみに遭遇することがある。 その悲しみには、プロセス(経過)があるという。 最初はショック状態。そして、死や病に直面した事実を否認、回避しようとする。「この時期は茫然自失して涙を流すこともできない。第三者の介入は困難で危険、そっとしておく必要があります」(精神科医師:平山さん)続いて、深い怒りや恨みの感情が現れる。「対応が悪かった」など、怒りは医師などの他者への攻撃に変わることもある。 最後は「何で自分はこんな目に」といった、自分にタイする責めや怒りに変わる。「この時、慰めや説教は裏目に出ることがある。『悲しみ、怒って当然』と、共に泣く姿勢で接することが大切で、この怒りの感情の処置を誤ると、鬱状態など、心身の変調をもたらす」と平山さん。更に、怒りの時期が収まると、引きこもりの状態に。深い悲哀感や虚無感に襲われ、「あの時こうしていれば...」という罪責感の繰り返しに悩む。そうした課程を行きつ戻りつして「新しい自分」への再生に向かう。 では、どうしたら立ち直ることができるのか。 平山さんはまず、悲しみを前向きにとらえることを提唱する。悲しみは、人を哲学者=考える人にする。健康な人、強い人には分からない優しさや共感能力も得られる。「それは人間として尊いことです」 また、 ◎死や病気が発した「生きるとは」等のメッセージを真摯に受け止める ◎過去に縛られるのではなく、思考を未来に向ける ◎今、心はどうなっていて、何をすべきか、自分の状況を洞察する ◎死ぬことは苦しいことだが、本人にとっては休養かもしれないと発想を転換する なども大切という。
略 問い合わせはファックスで 03−5775−3871 【本文終わり】
私が家族と死別したのは、23才の時です。 朝、私の単車を押し掛けしてエンジンを掛けてくれた弟が、夜中にトラックにぶつかり、もう2度と生きては会えなくなりました。私は外泊していたので、家に帰った時は、弟はもう冷たくなって寝かされていました。
その丁度49日目。母の母親、つまり祖母が急死しました。 母は狂うと思った。 でも、本当に悲しくショックな出来事があると、感情は動かなくなるの。
友達の彼氏が亡くなった時には、弟の彼女になりかけだった女の子がいたことを思いだし、だぶりました。 亡くなった彼氏は、私の上司で、会社で仲良しなグループの一員でもあったので、私も彼女と一緒に泣いて、でも私よりもっと辛いのは彼女なので、彼女に思う存分泣かせてあげるようにしました。彼女を思う存分泣かせることに集中しました。感情を吐き出せるように、悲しいと言えるように。
彼女の母親は、彼女にこう言ったそうです。 「悲しみのあまり、彼を引き留めちゃいけない。彼は自分が死んだことに慣れていなくて、でも、辛いけれども彼に「あなたは死んだのだ」と教えてあげないといけない」って。 「彼は、新しい世界の住人になったのだから、あなたが この世の足かせになってはいけない。彼の邪魔をしてはいけない」って。
その時には知らなかったんですが、彼女の父親が余命数ヶ月の宣告を受けていて、その上での、彼女の母親の血を吐くような言葉だったのです。(後でそれを知って、何て凄い母親なんだろうと尊敬しました。)
その後、父方の祖母が亡くなったり、友達が亡くなったり、夫の友達が去年亡くなったり 人がこの世からいなくなってしまうことは、とっても辛く、精神的に重く言葉で言い表せないほど疲れます。体の疲れなんて問題にならないほどの心の疲れに襲われます。それが身内だと、昨日まで一緒に暮らしていた人なら、なおさらのことです。
そういう時に、私は慰めの言葉なんてないと知っています。 ただ側にいて、泣くのを静かに見守っているしかないんです。 熱にうなされて夜中に目を覚ました時のように、 泣き疲れて顔を上げたときに、側にいて抱きしめてあげられる私でいたいと思います。
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