今日のつぶやき@日々暮らはおもしろ
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2002年10月24日(木) |
たとえば。些細なことだけれど |
たとえばの話。
ある人が日記に何か愚痴を書いたとする。
日記なんだから、別に愚痴ったってかまわないと思う。 いや愚痴というほどのこともない、日常の たとえば、アレコレに予想外の費用がかかってしまったとか、そんな話。
それに対して誰かが感想を入れるとする。
「そんなの自分にくらべたら大したことないよー。 自分はあんなこんなそんなで、これだけの痛い出費。(涙)」 と。
うんうん、よくある風景。 共感とか同情とか「うちなんてもっとだよー」と 盛り上がる掲示板。
だがそれに対して本人が
「それはあなたにとってはそうかもしれないが、 自分にとっては『大したことない』とは言えない」
というような反応だったらどうだろう。
それは少し心狭い対応だという気もするが、 たしかにそれが「大したこと」であるかどうかの価値観は 人と比較できるものではない。 ちょっと大袈裟な言い方ではあるが 人の『不幸』を 「私とくらべたらまだマシよ」 などと言えないのだ。
しかし、この場合感想を書いてくれた人は 好意によるものに違いない。
「そんなこと、はたから見ればそれほど凹むことでもないよ。 もっと大変な人がたくさんいると思って気にしないで」 と。
実際に私は時にとてもネガティブ思考になり 「ああ、ついてない。どうして私っていつもこんなに ついてない、運がない〜(by 沢田研二)」 と思ったりする。
ずいぶん以前のことだが、些細なコトを「ほんとについてない」と 近所の友人にグチったら 「そんな大袈裟な〜。そんなの『ついてない』うちにも入らないって」 と言われてしまった。
その時に 「ああ、そうかな? そうかもしれない」 と目からウロコが落ちたように つまんないことでくよくよしていた自分が 急にばかばかしく思えたのだ。
たしかに私は人よりうんと「ついてる」ときもあるだろうし、 他人からはとても「幸運な人」と見られているかもしれない。
だから比較が難しいような主観的な問題も たまには客観的意見を取り入れてみるのもよろし。
と、とりとめなくちょっとつぶやいてみたかったのでした。
しかし・・・
なんというまとまりのない たとえばの話 なんだろう。 「例え」の意味がないような気がする…
◆教訓 [たとえ話はわかりやすく]
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