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2002年02月15日(金) しつこいけれど、バレンタインの話

若くて独身の頃はともかく、結婚してからバレンタイン・デーが嫌いになったりしたのは
釣った魚には餌をやらないとかじゃなくって、子どもが絡んだイヤな思いをしたからだと思う。

なにしろ、ホラ、うちの子どもはふたりとも男の子だから、その日はチョコレートをいただく立場なんだけれども、子どもが幼稚園かそれ以下の頃って、モテるとかモテないとかじゃなく親同士のつき合い、つまりすなわち、母親の影響力が大きかったりするのだ。

以下の話は2年前に別のところの日記に書いたものである。
なので読んだことのある方はごめんなすって。


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まだ二男が生まれる前、九州に住んでいた頃、長男が3才くらいだったろうか・・・
当時住んでいたマンションに長男と同い年の女の子がふたりいて、その双方からチョコレートを戴いたのである。
といっても、2〜3才の女の子が自分からあげるはずもなく、無論そのお母さん達による私への義理チョコなんだけれど。

もらうのはいいが、きっちり4週間後に「お返し」というものをしなければならない。
そこで私は、それぞれの戴いた物に見合った(つまり価格を推測してそれ以上に相当する)物を買って、ふたりにホワイトデーの時に贈ったのである。自分では極めて常識的な判断だと思っていた。

ところが・・・その日の夕方、やはり同じマンションに住む、その女の子のお母さん達と仲良しの、いわゆる奥さんグループのボス的な人から電話がかかってきた。内容はこうだ。
平たく云えば「ふたりに差をつけたものを贈った」ことに対する忠告だったのだ。
「あのふたりはね、年も同じで誕生日も近くて何かにつけて比べられるでしょう?そういうところお母さんも神経過敏になるのよー。だから、同じものあげなきゃ。Mちゃんのママがね『ユウくんのママったら差をつけてるのよ』って愚痴りに来たわよぉ。今後は気をつけてね」と。

言っておくが、私は「○○ちゃんのママ」と呼ばれるのは嫌いだ。私にだって名前があるし、「母親」と言う顔だけ持っているわけでもない。
それに性格的に同じ物を2つ買うというのもどうしても好きじゃないのである。値段に関係ないとしても、人に物を贈るときにはそれぞれその人に合ったものを選びたいと思うから。

文京区音羽の幼児殺害事件が起こったときに、何とはなしにこの頃のことを思い出した。
結局何がイケナイかというと、子どもを中心とした母親同士のつき合いって、自分たちが気が合うかどうかではない、子供同士が合うかどうか、環境や境遇が一致するか、という自分で選べない友だちづきあいだからである。

以来私は、つき合う友人は自分で選ぼうと思っている。極端に御近所づき合いを避けるというようなことはしないけれど、あえて親しくしようとは思わなくなった。
親しくつき合える友人は、年齢性別にかかわらず、趣味や価値観の近い人がいい。
そして、きちんと話ができる人が。

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ところが、今これを読み返してみての私の感想はちょっと違っている。
やっぱり私は、そのふたりには同じ物を贈るべきだったなぁ、と思ったのである。

自分の主義やら価値観のことは別として、その子達にあげるお返しになにもわざわざ差をつける必要はなかったのではないか、と。
そんなものに律儀に「戴いたものに見合った」なんて価値判断をつけることは、少なくとも子供たち(とその母親たち)への私の厚意とは全く別問題なのだから。

この2年間でどういう心境の変化から私の受け取り方が違ってきたのかは自分でもはっきりわからないが、どうやら今年は(母以外)誰からも一個もチョコレートをもらえなかったらしい息子たちに、そんなことはキミたちを評価するような何ものでもないんだということを、きっぱり教えたい母なのだった。


うん。

だからまあ、こんな煩わしいことを考えてしまうバレンタイン・デーって、やっぱり嫌いかも。



余談だけれど、私のパート先の主任(42歳・妻子あり)は仕事関係で7個、プライベートで(謎)7個もらい、それ以外に友人や飲み屋のママさんから電話がかかってきてまだ取りに行ってない分が5個もあるらしい。
ちょっとオドロキ。





読んでくださってありがとう。


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