今日のつぶやき@日々暮らはおもしろ
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2002年01月12日(土) |
誕生日に思い出したこと |
私は、今はちょっとお休みしているけれど、某日記サイトに1年8ヶ月に渡って 日記を書いていて、特に最初の1年間くらいの日記はいま読み返しても驚くほど力が入っていると思う。 そろそろその日記も再開したいなぁと思っているけれど、こことHPトップの『今日のつぶやき』と3本立てになると、それぞれに書くことはいろいろあるかもしれないが、どれも中途半端になってしまうのでないか…という危惧もある。
などなど、いろいろ考えながら去年の日記を再度読み返していた。
昨日は二男の誕生日だったので、去年の1月11日付けの日記を読んでみた。 ・・・なんだか言葉に表せない様々な思いが胸をよぎって、しばらくいろいろと考えてしまった。 たった1年前に書いたものだけれど、現在の私にはこういう日記は書けないような気がする。 その周辺に書いてある話題は、「え、あれってもう1年も前の話なの?」と思うくらいついこの前のような記憶があるのだけれど、私の中でやはり確実に時間は刻まれているのだろう。
その日記は、今ここでの私とはまた別の、でもかなり素顔を素直に垣間見せられるところだったのだなとあらためて思う。 やはりここでの私は「似非」なのかもしれない。(笑)
※転載になりますが、その日記をここに記しておきます。ちょっと長いですが、よかったら読んで下さい。すでに読んだことのある方はとばしてください。
2001 年 1 月 11 日 (木) 誕生
結婚したとき、私は「子どもはいらない」と思っていた。 理由はあまり子どもが好きではなかったということと、自分自身が 親との関係をうまく築けなかったので、子どものいい親になる自信が とても持てなかったからだ。 ところが先手を打つように夫に「子どもはすぐにでも欲しい」と 言われてしまった。 結婚までの交際期間が短かったために そういう意思確認をしていなかったもので「しまった」と思った。 しかし、それにあえて「いいえ、私は産みたくないの」と主張するには 自分の理由は説得力が弱すぎると思えた。言えなかった。 おまけに結婚後最初に夫の実家を訪ねたときに、義父から 「あいつももう30なんだから早く子どもを作ってくれ」と 言われたことが追い打ちをかけた。同居していないとはいえ、 田舎の旧家の長男である夫が「子どもができない」ならともかく 「つくらない」なんてことが許されるはずもないのだ。 「まあ、仕方ないか・・・できたときは授かりものってことで」 などと私はどうにか自分に納得させた。
長男が生まれたのはドラゴンズが優勝した辰年の 猛暑で眠れない夜が続いた7月だった。 会社を早退して病院に駆けつけた夫が「がんばったね。ありがとう」 と言ってくれたのが嬉しかったのと同時に 「これで私は義務をはたした」という安堵感が湧いてきた。 その翌年、年号は平成に変わり、夫の転勤で私たち親子3人は 鳥取県の米子市に転居した。 そして2年後。今度は宮崎市へ。
私は「もうふたりめはいらない」と考えていた。ほとんど決意に近かった。 夫も次については何も言わなかったし、ひとりっこなんて今どき めずらしくもない。子どもがひとりのほうが、私も余裕をもって 親らしいことができる。そう思っていた。 しかし地域性なのかもしれないが、近所に「ひとりっこ」はとても 少なかった。うちのように3歳くらいの子がいるところでも、大抵 その下に幼児や乳飲み子がいるか、母親は妊婦だったりする。 子どもは3人というところが多かった。
ご近所との話題も当然のように「ふたりめはまだ?」という方向へ 流れてしまう。同じマンションの奥さんが用もないのに電話をしてきて 散々世間話をしたあげくに、「やっぱりひとりっこは可哀想よ」なんて 言われたこともあったっけ。 「いいの!うちはもうふたりめはいらないの」と声高に主張すれば まわりもさほど言わなくなったのかもしれない。けれども転勤族で 近くに友人もいない私には、それも憚られた。
私は近所づきあいが次第に憂鬱になった。 マンションの前に公園がある、ということでここに住まいを決めたのに 玄関のドアを開けると公園にいる奥さんたちの視線が一斉にこちらを 向くような気がして、外へ出るのも億劫になった。 3歳児検診に行っても、そこで出会った見知らぬ奥さんからなにげに 「おふたりめはまだなんですか?」と聞かれてしまう地域性なのだ。 受け流せばそれまでだったのかもしれない。 しかし、長男が選択の余地もなく前出の同じマンションの奥さんとこの 息子と同じ幼稚園に通うことが決まった頃には、私は少しノイローゼ気味だったと思う。
ある日夫が不意に「やっぱり兄弟はいるよね」と言い出した。 「俺もキミも兄弟がいるから、ひとりっこのよさはわからないじゃ ない? それにもうひとり子どもができたら、きっと生活が変わるよ。 できればいいな、って気楽に考えてさ。今度は女の子が欲しいのなら 女の子の産み分けとかの本でも読んで、妊娠出産を楽しんでみるって のはどう?」 夫がこういう提案をするというのはほとんどないと言っていいくらい 非常に稀なことだったので、なんだか妙に説得力があった。 (しかしあとあと聞いてみたら「俺そんなこと言ったっけ?」と ほとんど覚えていなかったが。。)
翌年、私は幼稚園の役員を引き受けたにもかかわらず妊娠して 周囲に迷惑をかけたけれども、ご近所や周りからは戸惑うほどの 祝福をもらった。 そして里帰りした私は、1月11日17時11分に二男を出産した。 11時とか1時じゃなかったのがちょっと悔やまれるけれど。 女の子でも男の子でも、もうどちらでもよかった。 私の安堵感ははかりしれない。
それから8年。放任育児のせいか二男はころころと落ち着きがない。 擦り傷も絶えないし、癇癪だし、でも甘え上手である。 お母さんにかまってもらうには自分から働きかけなきゃダメだと 認識でもしているかのように。 同じ自分の子どもだから、どちらが可愛いとかいうことはないけれど 私はこの山羊座A型くんとは、なんだかウマが合うようである。
二男くん、8歳のお誕生日おめでとう。
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