今日のつぶやき@日々暮らはおもしろ
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2001年07月22日(日) |
先のことはわからない |
「危機感こそが私を突き動かすものだ」 とある女性のサイトの日記に書かれていた言葉。 明日どうなのかが不安だからこそ今を大事にしたいのだ、と。 なるほどと思った。
この世に変わらないものなどあるだろうか? 未来永劫続くものがあると断言できるだろうか?
結婚生活だってその保証はない。 子どもはいつか親の元から巣立っていく。
私たちは人と人との関係で、常に明日に繋がるものを持てているだろうか? 「終わり」があるからこそ、今の一瞬を大切にしているだろうか?
けれども「時間」は私たちに冷たい仕打ちをするばかりではない。 「時間」はときに静かに私たちを癒し 忘れたい記憶をゆっくりと持ち去ってくれるのだ。 「自然体で行こう」
この歳になって恥ずかしいことなのかもしれないが、 特に主張する生き方とかポリシーとかがあるわけじゃない。 まあ、たいていの主婦は多かれ少なかれ夫や子どもの生活や都合に 合わせなくてはならない部分があるわけだから、そうそう 自分の理想だとか生きていく姿勢を押し通してもいられないけれど。
それでも、中には子どもに対する「確固たる教育方針」だとか 「理想の家庭像」をしっかりと持ってそのために努力邁進している お母様だってちゃんと(といっていいかどうか)いらっしゃるわけで。
一方私はといえば、だいたい物事の基準を「好きか嫌いか」で量って (もっとも「自分の生き方」を主張する人だって結局「自分が好きか嫌いか」 が根底にあるのだと思うけれど)、それに「ねばならないこと」の 優先順位をつけ、後はだいたい関わる相手に合わせてきたように思う。 「絶対にイヤ」なことや「どうしてもしたいこと」は別として 自分で何かを決定したり決断したりすることの少なかった私は だからといって、決して協調性に富んだ人間でも温厚なわけでもないのだ。
「自然体でいたい」ということと「柔軟な気持ち」を持ちたいという 理想はあったのだけれど、考えてみると私はなかなかに保守的で 頑固で、実はとても「こだわる」ヤツだったんだなぁ、と最近気がついた。
それならそれで、自分の「好き嫌い」にもっと拘ってみればよかったのに、 なんて今にして思う。いやいや、私の人生まだまだ終わった訳じゃないから これからだって十分修正可能だとは思うけど。(笑)
なんで急にこんなことを考えてしまったかというと、 最近とても好きなHPと巡り会ってしまったのだ。 そこは私よりずっと若い20代の奥さんがやっているサイトなのだが まずとてもセンスがいい。すっきりとシンプルで、でも知的。 そしていわゆる「日記系」なのだが、これがもうとても文章が上手い。 読ませてくれるのは言うまでもないが、そこに独りよがりの自己主張でない きっちりした自分の意見・感想を述べているところが強く惹かれた。
ああ、こういう自分を触発させてくれる、啓発させてくれるもの、 例えば本や漫画やこういうサイトと出会うとき、私は自分が どういったものが好きなのか、何を理想としているかを強く認識できて とてもやる気が出てくるのだ。 こういうものに影響されて変わることを、私は潔しとしたい。
確固たるものを内に秘めて変わらないのも素晴らしいが 心に合ったものを吸収して変化するのも素敵だと思う。
たぶん自然体でいるということは、自分をよく知っていないと できないことなのだろう。 自分の嫌いな部分をもきちんと認識して変わっていこうとすること、 好きな部分を向上させようとすることを大事にしたい。 せっかくこんなふうに、自分を語ったり自分の書いたものを 読んでもらえる場所を手に入れることができたのだもの。 大いに有効利用して自分を磨かなくっちゃねー。
などと、なかなか前向きなのはもうひとつ理由があって、 四半世紀にわたる友人のMが、今フランスから帰国していて 先ほど4年ぶりに、電話でお喋りできたことも起因しているに違いない。
彼女も私を「触発」させてくれる、とても「好きな」人なのだった。
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