竜の爺の戯言日記
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2004年08月03日(火) 家風が来て桶屋も飛んで何もなし 借金できず国は助けず

台風10号で記録的な大雨となった四国は4つの県で600棟以上の住宅に浸水などの被害が出たそうで、今も地盤が緩んでいるという状態があちこちにあって避難勧告が出されたところもあるようです。竜の爺も台風の真ん中に入ったという経験がありまして、もう記憶も定かではありませんが、名古屋地方を通過した伊勢湾台風、はい、思わず腕組みをしてしまいまして思い出しますと・・・・(年をとったというべきかー笑)伊勢湾台風、この時、竜の爺は名古屋市の中区に居て、大須観音の近くですが、風の勢いを体験した身にしてみれば嵐という自然現象にいつも敏感になってしまいます、ハイ。

昭和34年9月26日の伊勢湾台風当日、朝から社長はラジオにかじりついておりまして、社員には木造家屋の社舎の窓という窓に杉板を打ち付けさせて、ガラスには習字紙を貼り付けさせました。何でも空襲の体験からだそうで、ところが、夜半に入り見回りに出た社員が自転車小屋が崩壊したとずぶぬれで報告、しかし、崩壊したとしても、もう手当てに外に出られない状態で、吹き付けてくる風で膨らむ雨戸を支えるために縁側から幾重にも芯張り棒を宛がったりで忙しく、でも、渦巻く風の音に全員1階に集まってまんじりともしませんでした。

(当時は自転車、大八車、横付け自転車が運搬手段で、オート三輪車を会社は1台前年買い入れておりました。しかし、竜の爺はとうとう触れませんでした。小僧っ子でしたからそのときの竜の爺は、ハイ(笑)

木造といっても名古屋市の真ん中にあって、黒光りする太い大黒柱があるつくりで、戦災にも合わなかったという謂れがあったのですが、その家が全体にあちこちでミシミシミシミシ音を立てて揺れ動き、棚の商品があちこちでバラバラと落ちてくる、そのうち、あちこちで雨漏りが。一度もそんな経験のない社長一家と社員や丁稚は雨漏りの処理におおわらわになり、その最中に停電になって唯一の情報であるラジオも消えてしまいまして、更に激しく音を立てて揺れ動く家はつぶれるかも知れない状態でした。社長としても思案に困っていた事でしょう。

なにしろ外に出ても吹き飛ばされるだろうし、その頃は緊急避難先、などということは考えに在りませんでしたから、ハイ。最近は何処の町内会も町内会の人間たちが非難する場初を一応決めておりまして、これは例の阪神大震災の後のことのようですが、どうして良いか分からない、社長も従業員も、不安で、落ち着かずにウロウロしておりまして、ハイ。(笑)と、急に荒れ狂っていた風の音がやみ、え?、何なの?、台風が通りすぎたの? と言う感じで皆キョロキョロし、先輩の社員たちがおもむろに窓や玄関に打ち付けた杉板を取り外し始めましたが、社員の一人が天井を指差して、口をパクパク・・・・皆一斉に見上げると・・・月が煌々と流れる雲の合間に見え隠れしておりまして・・・・天井がない、いや、屋根がない!

重々しく鬼瓦を配した瓦屋根と天井がそっくり剥がされて・・・・・・この後の記憶が竜の爺にはハッキリしないのですね、いつ、どこで寝たのか、何処で食事をしたのか、が。連日、この家の後片付けに追われておりまして、ハイ。合間に仕事をしたり、納品した仕事が台風の被害で駄目になって引き取ったり、補修をしたり、忙しかったのは覚えていますが・・・・

結局のところ、この台風が原因で会社は再建できず潰れてしまい、身の振り方を考えて、翌年竜の爺は単身上京しました。そんな事もあって、おかげで1964年(昭和39)の東海道新幹線、10月の東京オリンピック開催、1969年(昭和44)の東名全線開通にも少なからずかかわりを持ちました、ハイ、仕事で。仕事、仕事、しかしながら仕事も、過ぎてしまえば幻のようなものですなぁ。

伊勢湾台風の規模(午後9時25分名古屋通時)・中心気圧958ミリバル・平均最大風速 37メートル・最大風速57.7メール。死者1.851名、現在も行方知れず58名、全壊、6166棟、半壊43.249棟の被害を出し、床上床下浸水家屋は66000棟になるという記録が残っている。

今年の新潟、福井といい、今日の高知から四国中国を横断した10号台風で被害に会われた人達は大変でしょうねぇ。お察し申し上げます。イラクにまた自衛隊が行くそうですが、何億円もの経費をかけて他国に日本の軍事基地を作り国民のお金を消費しています。新潟、福井を含めた罹災者の救助と復興がボランテァの人々によるのだというこの落差をやっぱり考えんといけないでしょうな、何故復興に自衛隊が持てる機動力を発揮しないのかと、ハイ。国は復興に金を貸し付けると、言っておりますが、これって、中々借りられないのです。条件が合わないと書類で撥ねられますし、借りたとしても、返さなければならないのですね、きちんと利子を付けて。家屋、家財を流され無一文になってしまった人には見向きもしない、それがこの貸付制度ですから。阪神大震災のその後の経過を見れば、いかに国が罹災者によそよそしいか、そして大企業にはこの時とばかり安い金利で資金を回しておりまして、この優遇処置により利潤が上がった企業は献金という形で自民党の代議士、議員のポケットに入る仕組みなんですね。1億円貰っても「記憶にない」というあたり、1億円はゴミのような小金で、懐に入る記憶に有る賄賂はもっと大口なんでしょうなぁ、きっと。


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