moonshine  エミ




2002年12月02日(月)  死と再生

 死と再生。
 まあなんて、大上段なタイトルなのでしょう。

 これは、私が敬愛する藤沢周平の自伝『半生の記』(文春文庫)の、最後の章タイトルだ。
 今日、友だちと“若い妻を病気で亡くす”という話をしていて、まず思い出した本。
 昭和2年に山形に生まれた藤沢が、郷里や家族、少年時代、教師や旧友、戦中戦後などについて、淡々と綴っている。

 最後の章「死と再生」では、まだ若い藤沢が当時は重病だった結核の療養生活を終え、ようやく東京で再就職を果たそうかというようなところから始まる。
 安い月給の新聞社に勤めをもつことができた藤沢は、やがて悦子という女性と結婚する。
 貧しくて共稼ぎをしても、若い彼らには平気だった。娯楽といえば映画を見るくらいで、あとは金のかからない散歩をする。長女も生まれ、そういう生活がずっと続くものだと思っていた。
 しかし、長女が生まれて間もなく、妻は腹痛を訴え、近くの病院に通っても治らず、ついに精密検査をしてみると予想もしない末期ガンを宣告されてしまう。
 当時の特効薬を求めて藤沢は病院を訪ね歩くが、特効薬は危険も伴うため使用を禁止している病院もある。やっと、その薬を使える病院を紹介してもらい転院させるが、妻はそれから二月も経たず、昭和38年に妻は亡くなってしまう。28歳。
 
『そのとき私は自分の人生も一緒に終わったように感じた。
 死に至る一部始終を見とどける間には、人には語れないようなこともあった。
 そういう胸もつぶれるような光景と時間を共有した人間に、
 この先どのようなのぞみも再生もあるとは思えなかったのである』
 
 幼い子供を抱えた藤沢は、感傷に浸りすぎることはできず、会社勤めも続ける。が、妻の命を救えなかった無念さや鬱屈した思いを吐き出すように、小説を書き始める。そして、年月が過ぎ立ち直り始める。

『昭和44年の1月に、私は現在の妻、和子と再婚した。(少し略。)
 再婚は倒れる寸前に木にしがみついたという感じでもあったが、気持ちは再婚できるまでに立ち直っていたということだったろう』

 和子は年老いた藤沢の母と、先妻との間の娘を世話し、やがて藤沢は「悲運な先妻にささやかな贈り物が出来たようにも感じた」という、新人文学賞を受けて作家になる。

 そしてこの長くはない最終章「死と再生」は、年を経て、藤沢が後妻の和子と亡くなった妻の墓参りをするところで結ばれる。

『私と結婚しなかったら悦子は死ななかったろうかと、私は思う。
 いまはごく稀に、しかし消えることは泣くふと胸に浮かんでくる悔恨の思いである。 
 だがあれから30年、ここまできてしまえば、もう仕方がない。
(墓の)背後で後始末をしている妻の声が聞こえる。
 28だったものねえ、かわいそうに。さよなら、またくるからね。
 私も妻も年老い、死者も生者も秋の微光に包まれている。』

 年に1・2度、思い出したように読み返すこの本だが、この章を、泣かずに読むことができない。

 藤沢自身も亡くなってもうすぐ5年が経つ。彼がこの世に遺した数多くの作品のひとつが、いま話題の映画「たそがれ清兵衛」の原作なのです。
 私の本屋さんにも、彼の棚と、あとココにも紹介があるので興味のある人はどうぞ・・・。
 
 それからこの本のほかに、小学6年生になる前の春休みに読んだ少女小説「AGE」(著:若木未生。この小説がきっかけで、私は尾崎豊を聞くようになりました。)や、
 大学の社会学の先生が言ってた“悪しき経験主義”の話、
 それに中学生の頃に読んだマンガの、“持つ者は持つことを・・・持たざるものは持たざることを武器にする・・・”という一説などを思い出しました。

 心の中に広がる思い。
 
 そんな月曜日は、週明けからの大残業になる。
 今週こそ(・・・来週半ばまでか・・・)最後のヤマバ。
 それが終わったら、思いきり年末モードに入って毎日定時でピシャリと帰るのだ!! 
 ボーナスももらって暴飲暴食暴音暴読だ!!(←さりげなく韻を踏んでる・・・つもり。)
 などと自分を励まして、遅くなった今夜も、さあ寝る準備をしましょう。
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