moonshine エミ |
2002年09月06日(金) “Simple and Clean” 宇多田ヒカル | ||||
仕事のあと同期と飲みに行く。 (大丈夫です今日は財布も記憶もなくしてません) しゃれた造りで実際以上に空間を広く感じるような、はやっているお店。 宇多田ヒカルの曲がずっと流れていた。 そうやってBGMとして聞いて、あらためて「いいなー、宇多田ヒカルって。」と感じる。 味わって聞いたらすごく味わい深く、こうやって流して聞くとものすごく心地いい。 宇多田ヒカルのすごさってのは、「職人」としても「芸術家」としても素晴らしいところだと思うな。あの若さで両方もってる。それを才能と呼ばずに何と言う? 宇多田ヒカルが書く詞には、いたずらに聞く人を驚かせるような激しい言葉や、薄っぺらい理想や、露骨な反骨精神、それらがなんにも見られない。 表現方法としては実は簡単なそういうものは、若い人は無意識のうちに手段として選びがちだというのに、彼女はそれとは無縁だ。 素直な印象。 シンプルでわかりやすい言葉を選んで使っているから、何となく心地よく流しちゃいそうになるけど、曲全体を聴いたら、すごく雰囲気が伝わる詞になっている。 言葉を重ねていくことによって、ちゃんと厚みが出て、なおかつ言葉にされていない感情まで自然と伝わってくるような作りになっている。 大量生産のピークに達していた時期の小室哲哉の詞を挙げるまでもなく、平面的な歌詞の曲はちまたに溢れてる。どんなにエキセントリックな言葉をつかっても、ただ表面をツルっと撫でただけのような。宇多田ヒカルの詞はそれとは真逆で、一見普通だけれど奥行きがある。すごーくたくさんのひだがある感じがする。 音の感じもそれと似ていて、一聴してわかるような凝りまくったアレンジやメロディーはそんなにないけれど、通して聞くとゆらゆらと快感が湧きあがってくるような曲が多い。 すごいな、と思う。 若さ、若いうちにきらめく才能っていうのは、尾崎豊にせよ椎名林檎にせよ、何かしら激しいもののはずなのだ。たいていは。 こんなにも浮き足立ってない、深いものを、もう4年も世の中に発表し続けてきて全然質が落ちてないのがすごい。 もちろん彼女の父親をはじめとした一流のプロたちが集まったチームが、協力に彼女のサポートをしているとしても、あの詞は宇多田ヒカルが書いたものでないはずがない(だって、それだけ落ち着いているにも関わらずちゃんと若い!若い感性が溢れてるもん!)ように、きっと曲づくりだって中心に居るのは彼女に違いない。 そして、宇多田ヒカルの曲は聞き方を要求しない。 部屋で一人で歌詞カードを見ながら味わうのも、この夜みたいに広いお店でお酒や食事、おしゃべりのBGMとして聞くのにも、どっちにもピッタリ、しっくりハマる。 リスナーの年齢や性別も、たとえばあれだけ売れてる浜崎あゆみと比べても、広い範囲にわたってるはずだ。 懐が広い。すごく大きく、腕が広げられている。 公式サイトの宇多田ヒカルからのメッセージを読んでも、音楽雑誌のインタビューを見ても、ものすごい力を感じる。感じる力と表現する力。前向きな心と時々弱い気持ち。的確な比喩表現をいっぱい使える。ユーモア。コミュニケーションしようとする姿勢。 私は音楽を聴いてると、音楽に感動したり「すごい!」て思っちゃうと、そこで鳴ってる音楽と、それを作った人が別物だなんて、絶対思えないから。 生まれてきて生きてきて何年も、生きている環境があって積んできた経験があって、それが音楽と関係あるものでもないものでも、全部ぜーんぶがルーツとしてあって、そして作られる「音楽」だと思ってるから。 それは、たとえば、いつも笑顔がすてきで誠実な態度のお嬢さんが、「きっと親御さんもいい人なんだろうねえ」って想像されるのが普通であるのと、ちょっと似た気持ちかもしれない。(うーん、これはちょっと違うところもあるたとえだなあと思うけど)。もちろん、音楽だけでその人を「わかった気」になりはしないけど、一人の人間がこの世でいろんな人と関わって生きていてその上で音楽をやってるんだから、音楽とそれを作った人が縁もゆかりもない(?)わけない、と思ってる。 結婚の報告にあたって彼女のHPに記された言葉、 「なにが起こるか分からない世界なら、全ての確信は希望であり、また希望こそが最大の確信でもあると思うのです」 『今』を大事にしてる気持ちを、こんなにも素直に書ける才能に、感嘆せずにいられない。 そんなこんなで、宇多田ヒカルさん結婚おめでとう。 ★ちなみに、知ってる人も多いと思うけど、“Simple and Clean”は英語版『光』のタイトルです。 あの曲を“Simple and Clean”という言葉で。こんなセンスが大好き! |
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