moonshine  エミ




2002年03月25日(月)  母と私、なんちって(長い。)

 何となく不完全燃焼で仕事を終え、8時過ぎに帰宅し、テレビをつけながら夕食を食べていると、母が
「しーちゃん、4月から一人暮らしするらしいねえ」
 と言った。
 しーちゃん、というのは、私の10年来の友達。
 家もまあまあ近所で、母親同士も時々スーパーなどで会うと世間話をするらしい。
「ふーん」
 と、奥田民生の昔のトーク場面を見ていた私は生返事をした。
「なんかね、天神あたりに部屋を借りるらしいよ。仕事がけっこう遅くて、帰るのが深夜になることもあるらしいねえ」
 と、母。そのへんの話も、私は本人から聞いているので、うん、うん、と適当に相槌をうった。

 ご飯を食べ終わるのと同じくらいに番組も終わったので、テレビを消して新聞を読み始めると、母が何気なく言った。
「あんたもそのうち、また一人暮らしをするって言い出すのかねえ」

 私は、2年前までちょっきり2年間、大学のそばに部屋を借りていた。
(一人暮らしといっても、だいたい相方と同居していたようなものだが、もちろん親は一人暮らしだったと思っております。)
 実家と大学の距離が殊更大きい、ということもなければ、何か親元を離れなければならない深刻な理由もなく、ただただ
“一人暮らしをするために、一人暮らしをする。一人暮らしがしたいんだーい!”
 といったふうに始まった私の新しい生活だった。
 まったくワガママな話だが、そのために敷金、前家賃および、電気製品や家具など新生活に必要なものをそろえるお金はアルバイトで貯め、2年間の賃貸生活の間、家賃光熱費はむろん、生活費といったものまで含めて、親からの仕送りを受け取っていなかったことは、一応記しておく。
 
 さて、仕送りがないということは即ち、自分で稼がねばどうにもならん、ということで、必然的に私はめちゃくちゃにアルバイトをした。2つも3つもかけもちしていた時期もあったし、平日は夕方から、土日や長期の休みの間は一日中バイト、ということもザラだった。
 そして、バイトがないとなれば、相方や友達とせっせと遊んだり、狂ったように本を読んだりしていたので、距離的にはいつでも帰れるはずの実家は、自然とどんどん遠くなり、めったに足が向くことはなかった。
 
「自分で稼いで自分で食べる」という無謀な学生生活には限度がある、ということは始めからわかっていたので、私は当初からの予定通り、きっちり2年間でそんな生活を打ち切って、実家に戻った。その間、姉が離婚して子供を手放したり、父が2度も入院して手術をしたりと家の中でもいろいろあって、就職した今でも実家生活は続いている。

「もし、そうなったら淋しい?」
 と、できるだけ普通に、新聞から顔を上げず、母に聞いてみた。
「淋しい?」
 母がすぐに答えなかったので、もう一度聞いた。

「別に、そんなことないけど」
 と母も普通っぽく言って、
「でも、そんなことしたら、あんたのお給料は全然残らんし、残業も多いのにご飯もまともに作らんやろ、あんたは・・・」
 と、くどくど続けた。まーねー、と私は答えた。

 これは、一人暮らしの子が多かった学生時代にはあまり感じなかったことで、むしろ就職した今になってよく思うのだが、世の中には母親と友達のように仲がいい娘というのは沢山いるらしい。
 
 私は、母親と買い物や映画に出かけることはまずないし、家に帰っても休日でも、友達のことや仕事のこと、今読んでいる本や聞いている音楽のことなど、ほとんど話さない。悩みを打ち明けることも、まず、ない。
 仲が悪いとかそういうことは全然なくて、むしろ私はそれはもう悲しくなるくらいに両親のことが愛しくてしかたがないのだが、いつからか自然にそうなってしまった。そういったことを話すのは、友達だったり、相方だったりというふうに、いつからか、なってしまったのだ。

 私はそれを、自然な成長だと思っていて、人はどうあれ母親と友達みたいに何でも喋る間柄になろうとは思わないし(もちろん、友達みたいな親娘関係を悪いとも全然思わない。人それぞれ、家庭それぞれ。)、母と私は私たちらしい付き合い方ができればいいと、今もそう思っている。

 でも、私が家を離れた2年間、母は淋しかったのかなあと思う。そして今も。
 淋しそうなそぶりは、実際、たまに感じる。
 そういうとき、いつも、
「ごめんね、マミー」
 と心から思う。
 これからたくさん、親孝行するからねー!!
 と心の中で誓うのだが、あんまりしんみりと心がけを良くすると、何だか次の日とかに親が突然たおれたりしそうで、なるべくいつものように悪態をつくことにしている。今日も。
  
Mail Home

BBS blog


<< >>