500文字のスポーツコラム(平日更新)
密かにスポーツライターを目指す「でんちゅ」の500字コラムです。

2002年01月25日(金) 一般論

 24日の朝刊は、イタリア全国紙の中田英寿のインタビュー内容を「爆弾発言」として大きく扱っていた。
 その言葉はこうだ。「僕の選手としてのクオリティと特徴が必要なければ(W杯に)召集されないだろう。(トルシエ監督が)僕を呼ばなければならないわけじゃない」。これをスポーツ紙等はW杯断念をほのめかすものとし、去年6月のコンフェデ杯決勝戦を前に中田がイタリアに帰った事などを巡る「確執」の証拠としている。
 だが、これの一体どこが爆弾発言なのだろう。サッカーでは、どんなに上手くてもチーム戦術にフィットしない選手は代表に召集されないのは当たり前。想定される戦術、ゲーム展開にそぐわない選手を無理に招集する必然性がないというのも、一般論として聞けば何ということはない。
 ご丁寧に各紙はトルシエの反応を今朝の紙面で取り上げていて、「戦術・ルールを守ってくれれば不可欠だが、自分の事しか考えないなら出場はわからない」という言葉を、前日の中田のインタへの不快感の表れとした。だがこれも、主語が中田以外でも当てはまる。
 自分で火をつけておいて「火事だ」と騒ぐ日本のマスコミ。愚かと言う他ない。


卑しい商売(1/25)

 きょうのコラムでは、常々感じている日本のスポーツ報道の程度の低さについて書いたが、まだまだ言い足りない事は山ほどある。そもそもトルシエVS中田という構図は、思慮の足りないメディアがミッチーVSサッチー騒動と同次元の発想で半ば作り上げたものだと思っわれるが、これが本当に両者の対立構造を作り上げ、本大会に影響する事にでもなれば、「愚か」の一言で済ませられる問題ではなくなる。
 断っておくが、日本にとって不利益だから書くなというのではない。でっち上げでメシを喰おうというあさましさが許せないのだ。
 ありもしないケンカを面白がって煽り立てるようなまねをしてでも、新聞が売れればそれで満足と言うのなら、何と卑しい職業なのだろう。同じマスコミ業界に身を置く者として悲しい限りだ。
 スポーツマスコミでは「飛ばし」と呼ばれる憶測記事も横行している。「憶測」ならまだいい方で、ハナから火のない所に煙を立てるのが実態だ。
 そんな恥知らずなスポーツマスコミの諸君に告ぐ。
 「もっと理想を持って仕事しようよ」


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でんちゅ [MAIL]

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