考える時間がありすぎるというのも よかったり悪かったりするのものなのか。 考えが内へ内へ向かって行くのは あまりよくない状況かもしれない。 神経がとがって、少し語気が強くなってしまう。 勘が強くなりすぎて、感情が高ぶり安くなる。 そんな時はどうか気を静めさせて。 そうでないと、自分の本性さえも疑いたくなってしまう。 荒げた声や突き刺さる言葉は本当は必要ないもの。 誰でも孤独を感じずにはいられない。 大事で尊い孤独だって確かに存在するし。 それを大切に育てる事で己を保つ者もいる。 隣で悲痛な声を上げる人は、確かに自分より大人に なってる気がして。 全ての時間も全ての感情もそして全ての己を分け合う 事は出来ないけれど。 その全てを捧げる事はとても強く、そして当たり前の 事なのだと、分かる。 この感情から発せられる言葉が、言えない心や 例えば己自身にわだかまりが残ってたとしても。 それらが全て本心であって伝えるべき人間がそこに いるのなら、それは全て無駄ではないのかもしれない。 後に残る虚無感でさえも、いつかは愛しいものとなるのかも しれない。だから人は言葉を人に伝えてしまうのだろう。
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