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なにしけてるんだよ、おかあちゃんはこれからいいことばっかりだよ、とパパさんは言う。そんなこといってもね。
息子は、この〜〜〜〜このこのこのこの〜〜〜〜〜と私に怒りながら、顔が 笑ってしまう。
笑ろたら負けよって達磨さんにらめっこしましょでも言うでしょ?
掌を揉みしだいてくれと差し出されたパパさんの掌をしごきながら、やっぱり このひとはキリストかほとけさまかと思う。でもだめ。イエスキリストみたくな 最後なんて耐えられない。やっぱり競馬の予想のときに私にトラディションって どういう意味?とか聞いて、よーし、今週はこれだ、ふん、馬鹿だと思ってるんでしょ、いいんだよ、とかぶつぶつ言っているパパさんがチャーミングなのだ。
娘の父親も、政治経済の予想なんて男ってあほや思うやろ、ええねん、みたいな すねた独り言を、私が何言ったわけでもないのに、つぶやいていたことがあった。
例えば、パパさんが林檎を嫌いな訳とか、メロンが食べられなくなった理由とか を聞いて思うのは、林檎やメロンがパパさんに嫌われるのは、林檎やメロンのせい ではないということだ。例えば林檎が美味しくなる努力を怠ったからうちのパパさんに嫌われたということならば林檎が美味しくなる努力も必要かと思うが、例えば 沢山林檎を頂いて、失礼のないようにそれを美味しそうに食べなければいけなかったために林檎が嫌になった、とか、アルバイト先で上役の人にご好意で頂いたご飯 をあり難く頂いた後トイレで吐き戻して以来、メロンやキュウリを食べられなくなってしまったというような理由というのは、味の良くないメロンに当たってしまったからという理由だったらともかく、まったくメロンの責任ではないのだ。学生の頃のアルバイト先で出たご飯のデザートにメロンが出てきたならともかく、出てきたのは魚類であって、その時体調が良くなかったからかもしれないが、魚類の今ひとつの香りとメロンの香りとがつながってしまう論理に、お魚もメロンが嫌いでない私は参加できない。しかしパパさんに出されたメロンが私の方に差し出されても一向に構わないのだ。でもどうかな?私も旦那にそれほどありがたがられないメロンをお下がりに頂いても、まあ美味しかったよ、という程度になってしまうかな。 いずれにせよ、あるものに対する嗜好というのは、説明しようとしても論理的では ないが、それでもいろいろ話してもらうと、パパさんの若かりし頃の姿が彷彿としたりするという面では決して無意味ではない。
それにしても、このところ私は、さして好きでもなかったスイカをわざわざ買って 原始人同様かぶりつく、うーん、スイカとは何と美味なものだろうか!と内心感嘆している。多少最近のスイカが改良されているとしても、私が好きでなかったスイカをこの上なく今好いているのも、スイカのせいではないのだ。
やっと買い物に出た。もう駅前のスーパーは閉まっていた。大通りの方のスーパー に行ったが、お金が足りなくて半分返品した。
インスタントラーメンを作って食べた。栄養がどうの健康にどうのと言われることを考えると、インスタントラーメンがとても美味しく感じる。
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