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2002年02月16日(土) 親睦会と道徳の授業

わあ、もう8時半。9時半から地区の児童館の説明会。

2時半から小学校のクラスの親睦会だ。ということは。

あ、郵便局って今は閉まってる???

閉まっていた。ATMではできない。来週だ。

親睦会楽しかったーーーーーー!!!!!

子供たちもすごく楽しそうだった。ラピュタの歌とかビリーブとかの歌も
じーんときた。

地区の児童館の説明会も有意義だった。

で、これからすることは??なんでしたっけ?ぽよよんさん。

えっとえっと、そうだ。がっくんのCD返却。それから、そうだ。校庭開放当番について。

夕飯はちょっとまだいいでしょう。

それから、家計簿に突入できませんか?

息子の生活科の授業の時に作った牛乳パック再利用の葉書で1枚お礼状を書く。

その紙すきのお手伝いの感謝状というのをクラスメートの子供たちが書いてくださったのが、とても感心した。

私、小学校の低学年の頃、腎盂炎で1ヶ月くらい入院した時に、クラスの友達から
寄せ書きをもらった。嬉しかったのだが、私はそれに対して返礼はしていなかった。快気祝いとかありますよね。元気になりました。その節はありがとうございました、もう大丈夫です、また宜しくお願いします、というような挨拶、快気祝いまでいかずとも、子供にもそれなりの伝え方、挨拶、荒くても、その気持ちの表現ができれば、またスムーズにいけたと思うのですが、私はその頃まったくそういうことには思い至りませんでした。
母は寝たきりの祖母や独身で尿失禁の伯母の世話、母親を亡くした姪たちの世話、テナントさんのことなどでてんてこまいで、その上私も入院では大変だったと今は
思うのだが、私はそれを助けようという気持ちに欠けていたと思う。
母のことを八方美人で不純だと思っていた。彼女がどんなに献身的だったか。
わかってはいたけれど。

道徳の授業で、人に親切にすることの徳について価値について。
私が若い頃、情けは人のためならず、という言葉の解釈を、従来の、人に親切に
するとめぐりめぐって自分に返ってくる、情けは人のためにかけるのではない、
自分のためになるのだ、という本来の意味ではなく、情けをかけるのはその人の
ためにならない、だから人にみだりに情けはかけないほうがいい、という解釈が
流行していました。
でも、最近、やっぱり、昔からの解釈のほうが、素直で自然だと感じられるように
なってきました。

いつか、おそらく私が10代の頃、亡くなった父が、徳を貯金しておくという気に
ならんかなあ、とつぶやいたことがあった。
私はそんなに不徳に見えるのか、と心外でショックだったが。
何がいいがわからない。何が幸いするか災いするかわからない。
でもやっぱり今を精一杯よりよく生きようとさせて頂くほかはない。

息子たちの世代は、とても見方が優しくて、大人顔負けだ。


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