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2002年01月15日(火) 自分自身を発見する本に向かって

昨年の暮れだったか、自分自身を発見する本All About Meというのを買った。

いろいろな質問について自問自答するものだ。こういうのはやるとしても多分10代の頃に済んでいていいような恥ずかしさのあるものだけれど、どうして今こういうものが必要なのだろう。

書こうとすると、実に自分の心が曖昧なことを知る。自分はこうだ!とはっきり
書けるところがとても少ない。これがはっきりしている人は一角の人なんじゃないかと思う。

子供たちに許可しない3つのこと、というのは、殺人、盗み、偽証と書いた。

マイオピニオンという項目があって、次の問題に対する私の意見は、

妊娠中絶 反対 銃を所持する権利 反対 生活保護制度 賛成 死刑制度 反対

不法移民に対する権利とサービス 賛成 ドラッグの合法化 反対 

同性愛者の平等権 賛成 婚前交渉 ??賛成 ですかね。

婚前交渉は私はしたのだから、反対できない。しかし、婚前交渉は愛していても許さないわ、という女性がいても、頼もしい、かっこいいんじゃないかと今は思う。

妊娠中絶反対というのは、自分はしたくないししなかった、せずに済んだ、という実に恵まれたものだから、相手の人柄に感謝すべきで、すべての人にあてはめられるとは思えない。やはり中絶しなければならない状況もあるのだろうと思う。しかし反対。中絶はして欲しくない。なるべく。レイプは許せない。この場合は中絶か。あってはならないと思う。

もし息子や娘が16歳以上で子供を生みたい彼女に生んで欲しいというのであれば、妊娠していた場合は、やはりぜひ生んで欲しいがなあと思う。学業とか10代での
子育てでは、やはり大変だろうし、私自身が自分の一人の子供であっぷあっぷしている状態なのに、しっかり支援できるのか自問してしまう。が、しかし、できたら
おめでたいことだ。何はさておいても、若い人たちには勉強ややりたい仕事など
があったならば、私が育児を手伝えれば、などと思う。中絶は体によくない。
しかし、私の個人的な鬼が笑うような心配の内容は、自分の子供は、僕には無理としり込みするタイプで、なかなか孫の顔は見られないのではないかということだ。
あるいは、私に対するスキンシップの濃さからして、このべたべたぶりをされたら
女の子はうんざりしないか?などと思うが。とにかく、このべたべたを許してくれる女性に出会えたら、その女性のロボットともなっ生涯尽くして欲しい。どうも落ち着きがなくて心配だ。もっと自信を持って。
でもやっぱり定職が決まらないと、子育ては難しいですよね。やっぱり愛情とか
信頼とかできるかどうか。愛だけではむずかしいですよね。

で、同性愛の平等権。観念的には認められるが、自分の子供が同性愛だとしたら、
やはりちょっと残念だとは思う。夫は同性愛自体に嫌悪感を示すが、それはちょっといただけない。残念ではあるが、認めないわけにはいかないと思う。残念なのは、やはり孫の顔、であるが、養子縁組というわけにいかないか。

しかし、私自身の観念と内面の情念にはやはり矛盾がでてきそうな気がする。
たとえば、父の後添えさんの人柄を尊敬していても、母が生前、やきもち焼き
だった言動の思い出などとの兼ね合いで、問題が生じてきたりするのだから、私の建前など当てにならないのだ。父の彼女との結婚に手を貸したのは、兄や兄嫁たちではなくて私だったというのに、この間の態度はひどかったかもしれない。
が、まあ、法律的には別にもう会いに行かねばならないということもない。これ以上不愉快なこと聞くのは勘弁してほしい。私は自分で墓参りでもすればいいのだ。
というようなこともあるわけで。

孫の世話してあげるわ、なんて気軽に口約束して話が違うなんていうようなことに
ならないように注意したほうがいいかも。自立ってどういうことだろうなあ。

経済力というのは、男が持つべきとは決まっていないと思うが、個人的にはやはり
息子には経済力生活力を持って欲しい。合法的な生活力。まじめにこつこつと仕事する態度。人柄。経済力のある女性にかわいがられるほどの魅力ある男でありつづけることもたやすくないと思う。苦しいときも助け合って。って、私が言うか?って私は助け合っていない?いるつもりなんだけど。それを夫に認めて欲しい。反省するところはいろいろあるけど。

娘の父親に、何かしてやる、という気持ちより、させていただく、という気持ちの大切さについて、語られたことがあった。

その話が印象的だったせいか、私は人にこれだけしてやってるじゃないの、とか、あげてるじゃないの、とは言いたくない気持ちが強くて(だれでもそうよね?)それゆえ、これだけしてやってるのに、と責められると、その言葉の荒さに辟易したりする。
これは間違っているのだ。夫は主夫ではない。私が主婦なのだから、夫に皿を洗わせては主婦がすたるのだ。自分の立場を忘れてはいけない。
しかし、今までは、病気で世話になっている感謝でいくらかあったかわいげが、
元気に頑張ろうと勢いがでてきたときに、せかされると、かちーんときもちが
はじかれてしまったりする。まるで私がなにもしてないみたいに。疲れているから、してやってることというのが大変だったのだろう。それを理解しなくちゃ。
つまらないことでがたがたいうのはなさけないが、これは日記なので、言わせてもらう。誰も好きで病気になっているわけじゃないのだ。

これから子供と一緒にどれだけ成長できるか。理解のある母であろうとしても、
長い間にはひどい正体がでるような気がする。未熟な私不満は必ず出るに決まっている。いいおかあさんにはなれないかも。
一人っ子といっても、やはり息子は人様に安心して差し上げられるものに育って欲しい。で、孫ができなくても、ともに生きていける相手に巡り会えたらやはりとびきりの幸運に違いないと思う。

そういう人に巡り会えなくても、何か打ち込める好きな仕事に巡りあえるかどうかも気をもむところだ。趣味とか。

しかし、とりあえず、今は息子が嬉嬉として父親とともに会話している姿にほっと
する。
好きな女の子に嫌われて、僕はだめだ、とか落ち込んでいたこともあったし。

まったく私は社交は苦手だ。
貧乏性なんだ私は。

娘はどうなのかなあ。私とは環境も育ち方も違うし。でも、彼女は私のように
成人してから義母と出会ったのではないから、私とよりも、義母とのつきあいのほうが、いろいろあっても、結びつきは濃くなるだろうと思う。でも、こういっちゃ
なんだが、娘には、あまり人に気を使わないで、自分の実力を蓄えて欲しい。
したいこと、許されることはどんどんして欲しい。

息子のクラスメイトの空手を習っている少女たちは元気一杯で輝いていた。
たぶん、あの娘も自分から空手を習い始めたというから、元気にやっているのだろう。
父親が癇癪を起こしてテレビを壊した時に、あれはおばあちゃんのテレビや、
ゆるさへんでえ、と言った娘は、あまり人に虐げられそうなタイプではなさそうに
思われた。それほど心配はしていない。

でも、やっぱり何か贈りたいな。本でも。
彼氏とかいないのかな。女子高では。私は高校のときバレンタインのチョコを
クラスの男の子に渡したりしたことあるけど。子供だったものなあ、私は。
今でもそうだ。キスすると子供ができるのよ、なんて母にからかわれていた。
娘を赤ん坊のとき、風呂に入れてくれたっけ、母は。
あれからいろいろあってね、キスしても、子供できなかったことあるのよ、おかあさん。もっと話したいこといろいろあるのよ。ま、息子とキスしただけじゃ妊娠しないわよねえ。

死刑制度はねえ。反対かな。どうも。わからないけど。世の中むずかしすぎる。
私も酷い性格って言われたことあるけど。。うーん。
わからない。屁理屈にもほどがある。やはり殺人は許せない。あの酷さと私の酷さ
と同列に考えるのは自分自身に対して失礼だ。けど、死刑が罰になるのか?
本当に怖いことばかりだが。いやなこともおおいが。といってみのむしになっていてもしかたないか。
殺された人もその遺族も殺してしまったものの神経も気の毒だ。
どんなにか苦しむだろうか。松本被告は苦しまないのだろうか。拷問を受けても
平気な神経なのだろうか。

私にも寿命があるのだから悔いのないようにしたい。

飢えているときとか、貧すればどんするともいわれるが、しかし、コルベ神父だったか、人の死を代わってあげた、というようなひともある。どん底にあっても。
人はそういうふうに生きられるのだろうか?

私はとてもまねできないかもしれないが、苦しいときこそ、自分の真価が問われるのだと考えて、何が大切かを子供や自分に問いたい。

しかしなあ。欝で動けないときよりも、前向きなときのほうが怖いと思うなあ。
かちーんんときちゃうと。あまり頑張らないように。

人が冷酷非情に見えるとき、その人は本当に冷酷なのだろうか。あなたは酷いと
なじられてもなんとも感じていないように見えるとき、その人は本当に何も感じて
いないのだろうか。信じられない。鬼としか思えない。後悔している申し訳ないと
思っているようにも見えない。
たとえば何かの会社の責任者が何かを述べるとき、なんだか心が通っていない棒読みのように見えて気が治まらない。こういうことによく人はなんともやりきれない
思いを抱かせられたりする。もっともののわかった対処の仕方があろうにと。
しかし、涙ながらに申し訳ないことをしたと感情を表せる人よりもその人は冷酷な
人柄であるのか。
クールに見える人が本当にクールで感情がないのか。

人に傷つけられたとき、人を傷つけた時、傷つけざるを得なかった時、自分だけが
一方的に傷つけられているとしか思えない時、能面のように悪魔的に見える慙愧の心を持ち合わせていないように見える相手の心が、なじりにえぐられていないと私には信じられない。私は責められると心が石になって強くなる。否応もなく泣かされるのは許しによってだ。優しくされるよりも責められたほうが楽で、許されるほうが痛かったりもするのだが。

なんだかわけわかんないこといいました。すみません。

それにしても、どうしてあんないいひとが、とか、いいこが、とかいうような
話がよくあることなのだから、なんとも。

理不尽不条理の中。祈ることしかできない。癒されること。

そうだ。柔軟体操しよ。

うちの体重計古いなあ。




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