愛の話は沢山しましょう恋の話はもう沢山だと思った衛澤です。
みなさんクリスマスという祭事を愉しみましたか。クリスマスイヴを愉しんだ人の方が多いでしょうか。十字架を掲げた教会へ行きましたか。聖書を開きましたか。讃美歌を歌いましたか。信心がなくてもできることです。クリスマスを愉しんだという人はいまからでも遅くないので、これ等のことをやってみるか、せめて「
聖☆おにいさん」を読んで頂きたいと私などは思います。
他人さまの誕生日をダシに愉しんだのなら、その御本人のことを少しくらいは知っておく努力をしてもいいのではないでしょうか。
そう言う私は今年のクリスマスをどう過ごしましたかと申しますと、イヴと当夜は平日と何ら変わりなく。この両日は世界中で多くの人がメリークリスマスを唱えるでしょうから、その日は敢えて外し、後夜祭のみ執り行うこととしました。
月末で懐事情もあまりよろしくありませんが、今年最後の定期通院の帰りに某有名フライドチキン専門店でフライドチキンを数ピース買い求め、コンビニエンスストアで小さなケーキを買い求めました。これは、私の幼少時に家人がクリスマスのために整えた用意に沿っています。
私の生家は誰もクリスチャンではありませんでしたが、「クリスマス」という祭事によって家族がささやかに晩餐を企画し用意を調え一同がそれを共有できたということは、まことにまことに、主イエス・キリストがこの世に人の子として御生誕くださった御陰であります。
あなたも人の子私も人の子。この世に生まれためでたさに変わりはありますまい。美味を喫し、讃える歌を歌い、聖句を唱えましょう。
御誕生日おめでとう。あなたが生まれて有難う。
主イエスよ。私はあなたの御陰で「愛」という単語を早い時期に知りました。とても幼い頃から愛について考えることができたのはあなたの御陰です。
そして宗教という思想形態を知り、思想によって人は集い、そして別れることを体験しました。集うこと、理解すること、許すことの原型を、私は主の名と教えを説く場所で学びました。限られた時間ながらクリスチャンであったことによって私は仏陀の教え、イスラムの教え、そのほかの宗教や思想及び哲学がよく見えるようになりました。多様な思想がありそれ故の垣根はあるものの、世界は一ト連なりであると判りました。宗教や思想は争いの理由にならないと知りました。
既にクリスチャンではなくなったいまも主と主の教えには感謝しております。さいわいなるかなさいわいなるかな、主がお生まれになったこと、それを祝う私がいること。主を信ずる者にもそうでない者にも、主のお生まれを祝う私を知る者にも私を憎む者にも、それぞれに等しく一日があるが如く、さいわいもまた等しくありますように。
信じる人にも信じない人にも、よろこぶ人にも望まない人にも、等しくクリスマスはやってきます。できれば多くの人が、自分ではない誰かの誕生日をよろこぶゆとりとやさしさを持っていますように。
そして冬にクリスマスを祝う余裕がある人は、春には灌仏会もお祝いしてみましょう。
来たりませ来たりませ、生まれ来るあなたよ。あなたが何者であっても、私はあなたを祝福しよう。あなたの尊さをやがてあなたが知るように。