衛澤のどーでもよさげ。
2006年07月17日(月) 少ないと言っても人口の数パーセントは。

読者投稿型実話系四コマ漫画雑誌(こう書くだけでB社の雑誌だとよく判る)を読む。女性向けにぶっちゃけた内容の雑誌なので非ジョーに生々しい恋愛話などが載っていて、海の日だというのに何だかちょっと気持ちが引けてしまったりした。
生々しいと言うか生ぐさいと言うか。

それはともかく。

その雑誌に「どんでん返し」という表題で、こういう四コマ漫画が載っていた。
とある夏の日にA子は素敵な彼氏と付き合いはじめた。身長も高くてきれいな顔だちの人だ。彼は「お前を大事にしたいから」と言ってなかなか手を出してこない。そのうちに夏が終わり、同時にこの恋も終了。やさしくていい人だったのに何故別れたのかと友人がA子に問うと、A子応えて曰く
「この前やっとホテルに行ったの……そしたら彼、女だったの! ちんちんついてなかったの!」
という「どんでん返し」の落ち。

そうか、「ちんちんが付いていない人」=「女」なのか。

世間では至極当たり前なのだろうことに久し振りに気付き直した気がする。ぼくが心ならずも片足を突っ込んでいる「ギョーカイ」では「ちんちんが付いていない人」には幾通りもあって、たとえば「ちんちんを欠損してしまったネイティヴ男性」や「生まれつきついていなかった男性」や「ネイティヴ女性」や「生まれたときに付いていたが苦痛なので切除した女性」などなどがいるのだということをいつも考慮に入れることになっていて、先に書いた等式のような単純な図式には直ぐには行き当たらない癖がついていた。
だから、改めて眼から鱗がフォーリンダウンである。

四コマ漫画では仔細は知り得ないしその必要もないのだが、ギョーカイに片足を突っ込んでいるぼくは少しだけ気になるのだ。A子さんは、彼にちんちんが付いていなかったというただそれだけの理由で彼と別れたのだろうか。男女の恋愛にちんちんは不可欠なのか。そうすると、たとえば後天的に欠損してしまった男性は、その時点で彼女や妻との関係の解消を迫られたりするのだろうか。

ちんちんが大事なものだということは、ぼくも四六時中体感している。なくて困ることもある。しかしこれは男性としての視点で感じることである。女性にとっても、ちんちんは不可欠なものなのか、とちょっと不思議な気持ちになった。
同時に、世間では「男」=「ちんちんが付いている人」が当たり前なのだということ、そして「男女の愛情を交わす行為」=「雌雄の生殖行為(凸型生殖器を凹型生殖器に挿入すること)」が世間の当然になっているということを、改めて確認する。

世間とギョーカイとでは世間の方がより距離を置いたところにあるような場所で生活していると、ギョーカイ越しに世間を見ることの方が多くなってくるので、意識してギョーカイが重ならないところから世間を見る習慣は重要だ、と常々気を付けてはいても、ときどき小さく吃驚する。「ああ、そっか」て感じに。


【今日のしまった】
市長選投票所入場券(葉書)の下に「ゴ」がいたので葉書越しに叩き潰してしまった。選管のみなさん御免なさい。


エンピツユニオン


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