衛澤のどーでもよさげ。
2006年03月31日(金) ぼくは戦場の真っ只中にいて。

一昨日の昼から電車と高速バスを乗り継いで、信州方面へ行ってきました。大阪まで電車で行って、そこから五時間半はバスの中です。何もしなくていい、たいしたことができない時間がとても長くあることが予め判っていたので、本を多めに持って行きました。持参した荷物の七五パーセント程度は本です。
御陰さまで積ん読になっていた本を幾らか消化できました。行き掛けには再読中の「ゲド戦記」第二巻「こわれた腕環」と第三巻「さいはての島へ」(アーシュラ・K・ル・グウィン/岩波書店)を、帰り掛けには「時生」(東野圭吾/講談社)を読了。何れもとてもおもしろかった。

過日、かかりつけの心療科医先生から又聞きしてきた河合隼雄先生の御説の通りにか、確かに現在再読している「ゲド戦記」は第一巻「影との戦い」よりも第二巻が、第二巻よりも第三巻が、現在のぼくにはおもしろく感じられました。はじめて読んだ中学生の頃は第一巻がおもしろかったし、いま読んでみても「あの頃のぼくが好んだ話」だと思います。同時に、「あの頃のぼく」は第一巻のような御話を書くことができたかもしれないが、第二巻や第三巻のような御話は書こうとしても表面だけを模倣したようなものにしか仕上げられなかったのだろうとも。
要はあの頃のぼくは第一巻のゲドのように根拠に乏しい自信―――客観的には過信と称される―――に満ちて、怖いもののほんとうの怖さを知らず、思慮深さに欠け、ほんとうに対面しなければならないものとの対面を避けていたのでしょう。
と、再読することで改めて確認することになりました。数年前のぼくならこれをつらいことと感じたのかもしれませんが、いまは一〇代の頃の「取るに足りないひとりに過ぎない自分」を認めることができます。それは「大人になった」ことと同義と考えていいのかどうかは、まだ判らないのですが。

「時生」はぼくにとって三作めの東野作品。三作の中で一番最初に読みたいと思っていた作品で、読了して一番おもしろいと思った作品でもあります。御話のつくり云々よりも先に、地文が軽快で読み進めやすい。ほかに読んだ二作はこれに比べて歯切れがよろしくないように、ぼくは感じたのです。
多少の大仰な表現や設定は少しライトノベル寄りとも言えなくもありませんが、ぼくは物語というものは多少大仰なことを言う方がいいのだと思っているものですから、より愉しむことができました。ひとつの小道具―――それはほんとうに手に取る道具であったり、或るいは台詞一ト言であったりする―――が幾つもの挿話を渡ってまわりまわって後にびっくり箱のように弾ける仕掛けが愉しい。
数年前に国営放送でドラマ化されて、ぼくはその紹介記事を新聞で読んで、この作品を読んでみたいと思ったのです。ちょっとファンタジックな(どちらかと言うとSFっぽい?)粗筋に引かれて。ドラマは主演がTOKIOの国分太一くんで、トキオと拓実の二タ役でした。この二タ役に無理があるのではないか、と新聞の解説には書いてあって、ほんとうに無理があったのかどうかはぼくはいまも知らないままです。生活時間帯と放送時間帯の都合が合わなくて、ドラマを見なかったから。でもTOKIOの五人から国分くんを主役に択んだのは正解だったのでは、と思います。
この頃、この作品の表題は「トキオ」で、後に「時生」と改題されました。東野氏にどのような心境の変化があったのかは存じ上げませんが、ぼくはもとの表題の方が作品に合っていると思いました。
国宝の御城

さて、ぼくが行ったのは上の写真の御城がある街。何をしに行ったかというと、この街の大学病院の先生に診て貰いに。眼を診て貰いに行ったのですが、御世話になったのは形成外科です。眼瞼下垂の治療の名医がここにおられるというので出掛けていったのです。遠くの、行ったことがない街に行ってみたいという気持ちも勿論あったのですが。
「眼瞼下垂」とは読んで字の如く、目蓋が下に垂れていること。目蓋を持ち上げる筋肉が伸びていたりして充分に眼を開けることができない状態を言う、らしい。これになると視野が充分に取れなくて危ないというだけでなく、額や頭の筋肉を使って無理に眼を開ける状態を維持することになり、それが原因で不安症状や鬱症状をも引き起こす、とのこと。年末に別件で眼科医に診て貰ったときに「あなたは目蓋が下垂しているから……」と言われ、そのときにぼくの持病である鬱病及びパニック障害と眼瞼下垂が結びつきました。
で、眼瞼下垂の治療で名立たるM医師がおられる大学病院まで出掛けた訳です。

三〇分ほどの診察の結果―――というよりは、ぼくの顔を見るなり、M医師は診断をなさいました。診断名は「眼瞼下垂及び痙攣」。
先程述べた眼瞼下垂は目蓋を「開ける」ときの障碍。ぼくはそれに加えて「閉じる」ときに使う筋肉が、開けるときにも閉じるときにもずっと緊張している状態で、それが副交感神経に作用して、心身ともに常に緊張している状態を保っているのではないか、ということです。M医師はぼくを一見しただけで「目蓋が痙攣するでしょう?」と仰いました。専門家には直ぐに判るものなのだなあと感心しました。
眼瞼挙筋やミュラー筋などの眼の周辺の筋肉が緊張していると鼓膜も緊張するらしく、「鼓膜の緊張度を測る機械」で測定して貰うと、ぼくの緊張度は常人のほぼ二倍。これは、戦場の兵士と同じ緊張を常に保っているということだそうです。

生命を落とさないように傷付かないように常に神経を研ぎ澄ませていなければならない戦場に配される兵士。その派遣期間は短いサイクルで切り替えることになっています。長期間の緊張状態は精神面に悪影響を及ぼすからです。そんな「非常な」緊張を、ぼくは一〇年以上も続けてきたのですね。そりゃあ精神面に異常が出てきて当たり前だ、刃物を振りまわして見知らぬ人を追いまわしたりしなかっただけ儲けものかもしれない、とぼくは思いました。
二年くらい前に或る街でそういう事件が起きて、それについて或る人と話したときに「ぼくだっていつ同じことをするか判らないし」ということを言うと相手の人は「そんなことがある訳がない」と返してきましたが、ほら、ぼくがそのときに言った通りに充分に可能性があったでしょう?
……と、私信めいたことをここで言っても仕方がないのですが、とにかく、先日の当頁で少し述べたように、ぼくはとにかく常に「我慢する」という選択をする癖がついていた御陰か、他人さまに対しても自分に対しても刃物を振るうということをせずに済んでいます。

「眼瞼下垂及び痙攣」はどのように治療するかというと、手術で治します。伸びてしまった眼瞼挙筋と緊張しすぎているミュラー筋を少し切ってやると自然に眼を開けられるようになって、そうすると副交感神経の緊張も取れて鬱症状の改善も期待できる、とのことです。「期待できる」のであって間違いなく治る訳ではないのですが、腹切りに海外まで行っておいていま更何を怖れることもないのでこの手術を受ける予約を入れました。半年後くらいにもう一度国宝の御城がある街に行って入院します。二泊三日で済むそうです。


【今日の矛盾する自己】
出不精だけど旅行好き。


エンピツユニオン


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