2005年11月10日(木) 緑いと言っていいのかどうか。
「正論だ」と思える正論を唱えているのを見聞きしてやたらに苛つくときだってあるのですよ。不当な腹立ちだと思いながらね。
この理不尽な憤りを緑さとか未熟さとか、そういった「若気」系とでも表現し得る単語で片付けてしまってもいいのでしょうか。
そんな微温いことを考えている頭は「関数f(x)=……」という問題文の冒頭を見た瞬間に集中力を自ら断裂させてしまいます。そもそも「文字が入った数式」以前に「関数」という単語から拒否する仕組みになっている様子です。
……日本語なのにな、「関数」。
判っている「つもり」ではいるんですよ。諸々の底意に自分自身があることは。