衛澤のどーでもよさげ。
2005年02月15日(火) あげないよ。

数年振りに「冗談じゃねえぞ」と思った。
あんまり頭に来たから一回眠って(「腹が立ったら横になれ」というのはあながちただの駄洒落ではないようです)みたのだけれど、思い返すと眠る前と同じくらいの苛立ちを感じる。

大切なものを預けているから大切に扱ってくれと言ったら、「あなたが思う大切とこちらが考える大切とは違うようだから、あなたが言う大切には扱わない」みたいな返事貰っちゃってさ。
この人に預けたのが間違いだったか、と思った。でもこの人に出会わなかったらぼくの大切なものがいまよりひとつ少なかっただろうことも事実なんだな。

よく判ったのは、「性能がよいものをつくっても必ずしもみんなに使って貰える訳ではない」ということ。使って貰うためには売らなくてはならないけれど、売れるためには売ることよりも、どれだけ性能がよいかをどれだけ沢山の人に知って貰うかが重要になる。
ぼくの大切なものは結構性能がいいと言える。そのようにつくったのだし一部では充分な評価も受けている。だけどそれを活かして貰えない―――性能のよさを広く報せることをして貰えないでいる。いったい何のためにぼくは大切なものをあなたに預けたの?

餅は餅屋に、報せは報せ屋にまかせないといけないってことだな、つまり。現場の話をしても判らない相手は現場に連れて行くか手を切ってほかの現場を知っている人に頼むかしないとどうにもならない訳だ。
かたちになることを望んではいるけど、それは目的じゃなくて手段なんだよ。それすら判ってないんだからなあ……まったく呆れる。

預けた大切なものは、可能な限り早く返して貰おう、と思った。

それにしても。
此方はこっぴどくテキトーだけど触れる人目が多いせいか芳しい反応があり、他方は根詰めて全力かけてよいできにしたのに誰も見ていないのか誰もよろこんでいない様子。これが現実なんだね。かなしいね。


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