衛澤のどーでもよさげ。
2004年10月12日(火) それぞれの役割。

長い間「書く役割」にこだわってきました。
意識してそうしていた訳ではなく、無為に。「読む立場」を想像でしか判らないでいる時間を長く過ごしてしまいました。
そのせいか、勘違いをしていることが多々あります。

「書き手は読み手がすべてを判ることができるように、完全に自分の伝えたいことが読み手に伝わるように書かなければならない」
初心者にありがちな「間違い」です。書き手として伝えたいことが読み手に充分に伝わらないのは書き手自身の仕事(つまり書き方)が悪いからだ、という短絡的な考え。これは、間違い。

「そこ」に書かれているものごとを間違いなく余すことなく読み取るのは、読み手の仕事。それは勿論、「読み取れるように」書いてあるものからしかできないことだけれど、きちんとしたもの書きが書いたものなら少なくともそれくらいの仕掛けはしてあるもの。「何が書いてあるかよく判らない」というのは、読み手の読み取り能力の欠如でしかない。

或るひとつの作品を、長い時間を空けて読んでみると、そのときどきで少しずつ解釈が変わるのは、つまりそういうことなのでしょう。長い年月を経て少しずつ読み取り能力が充実してゆく。だから解釈が変わって深くなるのでしょう。

というようなことを、久し振りに純粋に「読み手」になってみて改めて思いました。
「書き手」は「書き手の役割」を、「読み手」は「読み手の役割」を、それぞれに果たしていればそれで充分、ということ。「書き手の意図とは違う解釈」は決して「間違った解釈」と等号では結ばれ得ないものなのだということを、常々考えるまではしなくとも、忘れ去るようなことがないようにはした方がよいな、と思います。

そげなことを考えつつ、次回作の構想を練り練りしています。
草案だけは沢山あって、中には連載のために中途で筆を止めてしまっているもの(既に草案ではない)もあります。うっかりすっかり忘れてしまっていたのですが、或る1本などは500枚(予定)のうちの300枚近く書いています。
それも含めて次回作の候補となるのですが、現在書いているものと同じ題材を取ってもっと掘り下げたものを書くか、まったく違う題材を取って分野を広げてみるかを、少し迷ったりもしています。


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