2003年11月17日(月)
つれづれ

最近評判の推理作家、横山秀夫の「半落ち」を読む。

期待に違わぬ筋の運びに引込まれて一気に読終えてしまった。文章に、直木賞の選考委員の誰かが言っているような問題は感じなかった。むしろ、委員の文体感覚がおかしいのではないか?とまで思った。特に、現実にはあり得ぬ設定なので、選に漏れたという批判には納得が行かなかった。小説世界の構築された現実感と現実の世界の緻密な雑多さとは違うものだ。現実ではあり得ないような構想、構成を私たちは求めているのだから、この評は実生活に偏している。真実と虚構の二分法に堕している。

だが、ストーリーに引張られて読んでいった読者として、最後のオチは承服できないものだった。バランスの悪さとでもいうのだろうか。期待させるものの大きさと、作者が用意したどんでん返しの重さが釣合わないのだ。期待が大きすぎたせいか、結末の軽さ(安易さ)に、だまされたような思いが走った。直木賞を逃した理由がよく分った。これでは賞を取れなくても仕方ない。

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力の限界

イラクで連日のようにアメリカ兵の死亡が報道される。アメリカは軍事力、経済力で圧倒的な優位に立っていたはずだ。にもかかわらず、力で押え込むには限界があることを如実に示している。そして、ものごとを進める手順を間違えると、どんなに繕おうとしても、繕う手を小さなほつれが次々とすりぬけて、次第には、修復不能に陥る、そういった時間の非可逆性の厳しさを見せつけている。

ブッシュはどう見ても傲り高ぶっていた。計算を間違えたのだ。人間の気持は財力や兵力でそう簡単には変えられない。このままの体勢ではおそらく50年くらいはかかるだろう。それまでアメリカがもつかどうか……。そしてまたアメリカに追随する日本がもつかどう?

フセインの非道は明白だ。だが、ブッシュにはこの問題を外濠から埋める忍耐力が必要だった。その一手間を省いたツケはあまりに大きい。日本も同様だ。大した大義もなく派兵される自衛隊(自衛?この言語矛盾!)からも無惨な犠牲が出るだろう。その痛みに日本がもつかどうか。軍隊ならいざしらず、自衛のための集団が、外国でねらい打ちにされることの矛盾と屈辱に、日本人は論理と倫理の両面から自治国としての誇りと自信を根底から覆されるだろう。

小泉はこの点が読めていない。安心して住める日本?ヴィジョンの立て方が逆さまではないか?出すなら先制攻撃可能な軍隊として出せ。蜂の巣にされるのと、撃ちあって果てるのでは天地の差がある。自衛隊が見殺しにされれば、その出来事はそのまま強力な隠喩として日本を動かす。小さな出来事が歴史を動かすことがある。

隠喩の力を侮ってはいけない。

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雪だより11月17日朝

今朝、玄関を開けて外へでた瞬間に冬の匂いがした。山は雪だろう。この匂いは冬になるとかならず訪れる雪の匂いだ。早いのだろうか、平年並だろうか。車の窓に見える赤城山の頂はすっかり白い雪雲に覆われていた。


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