アンクル J 2003年01月14日(火)
あたしが確か小学校1年の時、家に帰ると順子が
今日、お友達になりたいって子が来たのよ。
と言った。ペリーという年上の女の子。 お母さんが韓国人でお父さんがアメリカ人、 同じ駅にある相模原キャンプと呼んでいる米軍ハウジングに住んでいる。 たぶん韓国人つながりだったとは思うけど、 順子がどこでこの家族と出会ったのかは今でもわからない。 とにかく急遽、自分の名前を英語で言う練習をした。
マイネーム イズ ケイコ
なんだか
マヨネーズ イズ ケイコ
みたいだ。。。 なんて思ったのを覚えている。 だいたい、英語なんてものがあることすら知らなかった。 そしてご対面。ペリーは赤毛が綺麗ないかにも外人な子だった。 今よりもっと人見知りで、今では考えられないほど内気だったあたしは、 初めて見る外人に圧倒され、結局自己紹介も出来ずに終わった。 彼女のお母さん(ペリーのおばさんと呼んでいる)は、 英語も日本語もかなり怪しいけど意味が通じるくらいに話すことができる。 ペリーとは会話なく遊び、必要なときは彼女が通訳。 そんなこんなでペリーと家族ぐるみのつきあいが始まった。
毎年ハロウィンにはキャンプ内を仮装してお菓子をもらいまくり、 彼女の誕生日パーティー(外人だらけ)にも出かけていったし、 あたしの誕生日にも来てくれた。 今でもプレゼントされたE.T.は大事にしてる。(HP TOY参照) ベーコンやSPAMもこの頃から食べ、 キャンプ内のクラブで食事をするのが好きだった。 小学校高学年になると生意気になったあたしは、
ペリーの手は外人臭い
などと人種差別的発言をし、彼女と距離を置くようになった。 親同士はそれでも仲がいいのでペリーのおばさんとは良く会っていたし、 キャンプへもちょこちょこ遊びに行っていたけど。。。 おかげであたしはバイリンガルになれるチャンスを自ら失った。 そして、あたしが中学に入り『スタンド・バイ・ミー』を見てリバーフェニックスに恋し、 アメリカに興味を持ちだした頃、ペリーはアメリカに行ってしまった。 たぶん大学に行っていたんだと思う。両親はこっちに残っていたし。 高校に入ったある日、夏休みで戻ってきたペリーとお兄さんのジャニー、 ペリーのおばさんと旦那さん(アンクルJと呼んでいる)を招いて、 東紅苑で焼肉パーティーをした。 ジャニーと会うのはこれが初めてだった気がする。 『氷の微笑』にでてくるシャロンストーンの相手役に似ていた。
あたしが21だったかな?お姉ちゃんが急に、
今月中に結婚してアメリカへ行く!
と言って驚かせ、(実はすでに結婚はしていたらしい) 姉思い(?)なあたしが、
せめてウェディングドレスくらい着させてあげようよ
と言ってバタバタで執り行った厚木基地の教会での結婚式、 東紅苑での2次会にもペリーのおばさんとアンクルJは来てくれた。 その日、Jに誘われ、マカと一緒に座間キャンプのクラブへ遊びに行った。 彼とは今まであまり交流がなかったからこの日のことは、 とても思い出に残っている。カントリーステップを踊らされた(恥 気むずかしいと言われるJだけど、 愛想のないあたしをなぜだかすごく気に入ってくれていた。 子供の頃から銀髪だったらしく、ロレアルのCMに出る(アメリカの)くらい、 それはそれは綺麗な髪をしていた。 Jは、あたしが子供の頃は座間キャンプ内の映画館で働いていた。 何度かフィルムを回す部屋に入れてもらったことがある。 車で移動中に、曇った窓ガラスをいたずら書きで埋め尽くし、 運転席側にも手を伸ばした瞬間、噛まれたこともあった。
姉の結婚から8年、去年の2月に姉が亡くなりアリッサが家にやってきた。 学校の手配やらスクールバス、基地内に入るパスや病院の予約・・・・ あたし達ではお手上げだったペーパーワークをJが手伝ってくれた。 マラソンが好きで、よく江ノ島まで往復走っていたという彼だったが、 7月末に前々から痛んでいた膝を検査し、腫瘍発覚! 手術の為アメリカへ旅立った。 でも、手術の出来る場所じゃなかったらしい、そのまま入院。 10月になって、ペリーとぺりーのお母さんが冬物衣類を取りに帰ってきた。 ペリーは、12月に予定していた結婚を延期したという。
2ヶ月後にはまた帰ってくるからね
とペリーは言った。(それくらいの英語はわかる) それから3ヶ月・・・ 夜、部屋にいるとみっち(弟)がドアをノックした。
なに?
やつがドアをたたくときは良いことがない。 2月の夜中にたたき起こされたのを思い出した。
ペリーのお父さんが死んだって。
やっぱり嫌な予感は当たった。 時差を考えると、14日の朝になる。 ペリーのお母さんの腕の中で、お別れを言って静かに亡くなったらしい。 あたしが最後に会ったのはいつだったっけ? アリッサの件で、去年は何度か会っている。 そんな昔のことじゃないのにどれが最後だか覚えていない。 あぁ、そうだ。思い出した! アメリカへ行く前に留守の間たまに花に水をやる約束をして、 彼らの新しい家(何度も引っ越してまた相模原キャンプへ戻ってきた)に 行って、あれこれ説明受けて、アメリカにいるペリーと電話で話して・・・ あのとき、カウチに座ってテレビ見てたっけ。 誰の手術に行くんだ?ってくらい元気だったのに。 だから手術したらすぐに帰ってくると思ってたんだ。 それが最後だなんて思わなかった。
じゃ、よろしく〜♪
てなカンジでバイバイしたんだ。。。アホだなあたしは。
ペリー達が再びアメリカに行ってから、車で行っていた彼らの家まで走って行くことにした。ドアの施錠確認や落葉の清掃をして待った。 走るのは大嫌いだったけど、Jは江ノ島まで走れるんだから。。。と思い走った。 おかげで、ゆっくりだけど長く走れるようになった。少し好きにもなった。 Jとの思い出は決して多くないけれど、どれも印象が強い。
んー、上手く言えないけど・・・ アンクルJはこの世を去ったけど、彼を知る人の中で生き続けると思った。 もちろんあたしの中でも。 ベタベタだけど、 アンクルJ、安らかにお眠り下さい。。。
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