すずキみるくのGooden 妄言
旧牛乳式形而上精神論理構造研究所日報

2011年09月10日(土) 傷だらけ

大学時代、教授の授業で最終回の一部だけみせられたドラマがあった。なんかショーケンがどっかで聞いた音楽にのって朝メシをくっているオープニングに、なんか黒い服をきた女性が杖をもってくるくるしていたという印象があった。教授がいっていたこともしっかりとは覚えていないが、「戦後民主主義」がどうのこうのという話だったような気がする。

そんなドラマ、「傷だらけの天使」が、地元の深夜で「ドラマレジェンド」というくくりで放送されてので、一話からみることにした。そんでもって最終輪を今日観終わったわけだ。

そんな感性で見た最終話は完全なモラトリアムの話だった。主人公のオサムが今まで世話になっていた綾部探偵事務所が実はとんでもないワルの集団だッたということが発覚し、また、その世界が広がったことで今までの主人公がいた世界は実は閉じた世界であるということがわかってしまい、修はその閉じた世界から外の世界にでるということを迫られる話だった。

最終回になったとたん地震が起き、いままでの登場人物がいなくなり、出会う人間、出会う人間に「いままではお遊びだった。」と示唆される修。かつての探偵事務所の社長だった綾部は中途半端な新宿のクズでいることをやめ本物のワルになることを求める。その反対に、修との今までの関係にこだわり続けた相棒で弟分のアキラは、そのために無理をして肺炎で死んでしまう。最初は綾部の話にのりかけた修だが、引き返したところでアキラの死に直面しアキラを葬ることを優先する。その日に取り壊されるオサムの住み家、ビルを出て行く時に挿入される三里塚の映像、そのすべてが祭り、・・・モラトリアムの終わりを象徴していた。

思い出してみたら、修はドラマの中でいつも傍観者の立場にいた。やくざ、旧軍隊、そういう本職の人間がいるなかで、彼は常に「素人」としてかかわりつづけていた。だから、殺陣のシーンでも暴れるが、強いのか弱いのかはっきりしなかった。簡単に負ける時もある。とくに本職にでてこられてはあっさりとやられてしまうことが多かった。それでも、何とか、「素人なり」に頑張った結果をみせるというのが基本パターンだった。その結末は、やっぱりどこまでいっても「素人なり」に決着をつけたもので、後味がわるいものも多かった。

そんな「素人」に「何者か」になることをつきつけたのが、最終回だったんだと思う。ある意味、モラトリアムの象徴ともいえた、アキラを夢の島に葬った修は画面のからこちらに向かって走り出すところがラストシーンになっている。ここから修は何者かにならなければならない。このラストはもしかしたら当時見ていた人間の心にものこり修がどうなったかわからず、興味もつきないから伝説のドラマになったのかもしれない。

リアルタイムで見ていたオサムたちはそれぞれ何者かになったのだろう。

そんな感じで、昔のドラマを見た。なんかえらくためこんだ教授の宿題をおわらせたようなきがした。


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