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1975年12月21日(日) a

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浮霊現象について

前に一度書いたと思うけど、真光の教義(方向性)事体に霊動《浮霊》と言います。《浮霊》、霊が浮かび上がる事を志向している教団であるという事実。真光は《浮霊》を、人工的(意図的)に引き起こそうとしている訳です。

この岡田光玉の《浮霊》への志向性が救世教を破門された理由で、人間の精神に対して非常に危険な方向性だったんですね。「祈言集」の《ゴクビジッソウゲンシカイ》なんて濁音だらけの祝詞は、普通の神道では在り得ない言霊として響きが汚いものです。態とこうゆうのを使用して人を《浮霊》させるのです。この事を私に教えてくれたのは真光の幹部だった人ですよ。

《浮霊》とか似た現象は気功やブリージングセラピーでも起こりますが、ブリージングは私もやった事あるが隣の人が蛇みたいにのたくっていた。 真光信者なら蛇の霊が憑いていると言いたげな感じですが、ただ副交感神経?だかの問題だそうです。(昔はこの手の情報に詳しかったがもう卒業しました。)暗示を受けやすい状態だから、前以て霊の憑依とか言い聞かせられると、その様な反応をするだけです。ただし霊的存在というものは確固として存在します。 霊的存在として動物霊という存在はありますよ。

霊動《浮霊》について補足しますと、本来は霊動《浮霊》=《悪》という訳ではありません。これらの現象は民間医学でいうが如くカタルシスの一種といえます。例えば野口整体の活元運動なんて、霊動《浮霊》に良く似ています。 これには、創始者の野口晴哉が救世教出身というから当たり前ともいえますが、活元運動で霊が憑いたなんていいませんよ。

霊動《浮霊》に付いては、人間が風邪を引くのは体の調整作用だと言われますが、霊動《浮霊》も交感神経の調整作用の一環と考えています。この手の現象が起きるような場合が想定される時は、シッカリ対処できる人間がいるかどうかという事にかかっていると思います。

>「霊動」は濁音の祝詞が起こす「暗示」と関係があるとおっしゃっているように受け取りますが、それでしたら暗示とは怖いものですね。人を一生縛り付ける。確かにゴクビ云々の語韻はゴクツブシといったののしり言葉などを連想させますが。濁音て、詩でもそうでしょう?

「祈言集」は今手元に無く、その《ゴクビジッソウゲンシカイ》は漢字では極微実相、後は覚えていません。
濁音だらけの祝詞なんて・・・国文学や神道学にある程度の関心が有る方ならば、普通納得される筈ですよね。 真言や呪には有るけど、何処の神さんが懸かっているのやら・・・

>この事を私に教えてくれたのは真光の幹部だった人ですよ。

この方は、真光隊の隊長だったかな務めていた人で光玉死後暫く後に脱退した方なので、《ゴクビジッソウゲンシカイ》の話を、今の幹部が知っているか?というのは私には判りません。

>「霊動」はその動作だけ観察したら、薬物中毒者によくみられる現象と同じです。

上記の内容より私はそうは思いません。 本来はセラピーの一環だったと考えます。

>野口整体って、こんにゃく運動の野口先生ですか?

その人です。野口整体と救世教の関係は余り知られていないようです。

>しかし
>>人間の精神に対して非常に危険な方向性だたんですね。
>ということで、光玉、救世教破門の原因が霊動への執着、関心。

そもそも、岡田茂吉は大本に居た時は神霊実験の研究等をしていた。昭和二十年代、始め救世教主宰で物理霊媒、亀井三郎の実験会の主宰等も有りましたが、救世教の浄霊をしている場に於いて憑依現象が度々起こり、弊害が多いために昭和二十六年頃に教祖岡田茂吉によって救世教の場では神懸かりは禁止されたのです。(天国の礎に確か論文が有ったかな?)

当時、例外として神懸かりが認められていたのは、京都のイズノメ中教会の多賀夫人で、この夫人の取り次ぐ内容が機関紙の地上天国に掲載されていたのです。それに触発されて何人か神懸かりを続けていた人物が居り、岡田光玉も止まなかった一人で遂に破門されたというのが救世教で伝わる話ですね。

当時もう一人神懸かりを止めなかった人物がいて、兵庫県の豊岡に居た池内一次という人物は岡田茂吉から直々に審神を受けて本物と認められたそうです。(岡田茂吉没後、独立してひかり教会を設立した)当時、岡田茂吉は総ての神懸かりを否定していなかったという事実は重要です。


以前私が野口整体と野口体操の創始者は同一人物等良く確かめもせず頷いていましたが、後でよく調べてみたら別人でした。

野口整体 野口晴裁

野口体操 野口三千三
でありました。 いい加減な事いってスイマセン。

フト思ったんですが、此方の皆さんは「教祖誕生」上之郷利昭 新潮社刊という本のことはご存知ですか?  何処かの文庫本にも入っていたが、出版系列からして新潮文庫?この中に岡田光玉の伝記資料が収められています。光玉の家族(妾じゃないよ)とか、古い知人からも取材したようです。 以下引用すると、

しかし光玉はこの頃から既に、宗教の方には相当身を入れていたようである。「神道、仏教あらゆるところを模索して歩いた」と、彼は後年、親しい人たちに漏らしている。として、生長の家や救世教、大本に関わっていたらしいと記述あり。 大本の話は、私自身が大本の人から岡田光玉が大本の講座を受講に来ていたという証言を聞いた事がある。あまりソースとしてはこの本の事が話題に上らないので書いてみました。

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