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1975年06月29日(日) a

概要(ノートより)

1. 日本は地球上で最も古い国である。
2. 日本はかつて人類の霊的中心であり、将来再び中心になる。
3. 最初の人類は、5種類の色−黄、赤、白、青緑、紫−に分けて古代日本において創造された。
4. 古代日本は、全世界を支配する高度な文明を持った場所であった。
5. ス神は、彼の子孫であるスメラミコトを、皇帝かつ最高位の聖職者としてこの地上を統治させるために派遣した。
6. 人類のすべての言語と文字は日本に起源をもつ。「古代日本に文字が無かったというのは誤りです。日本には表意文字がなかったというのも誤りです。応神(おうじん)天皇の時代に表意文字が初めて日本にもたらされたというのも誤りです。」−岡田光玉(真光上級研修テキストブック、1989、P.3)
7. スメラミコトは、日本の15人の皇子と1人の皇女を世界各地へ派遣した。各国の名前はかれらにちなんでつけられている。
8. 古代における日本の名前は「ヤマト」であり、「ピラミッドの頂点の国」という意味である。また、「ニホン」という名前の意味は「霊の元つ国(ひのもとつくに)/太陽の起源の国/陽霊の起源の国/霊の起源の国」という意味である。
9. ツタンカーメンは日本の皇子であり、エジプトのピラミッドは日本の皇室を称えるために建てられたという。
注) 6.の応神天皇の時代:西暦270年−310年
ムー大陸の住人は、最初は天国の王と呼ばれる一人の神を崇拝していたが、その本当の名前を使わなくなり、単に神(かみ)とかゴッドとか言うようになった。石でできた天井のない寺院がこの神とそのシンボルである太陽を崇拝するために建てられた。菊の紋、ピラミッド、太陽に加えて、古代日本の公式なシンボルとして十字架、蛇、スワスチカ(宇宙の秩序をあらわす)、3つの角のある王冠が使われた。海外に移住した人々によって世界中に運ばれたムー大陸の文献は、ポリネシアの伝説、中国の文献、プラトンの著作に現れた。旧約聖書は、ゾロアスター教の経典であるゼンド−アベスタを、日本の皇子であるモーゼがヘブライ語に翻訳したものである。

み教えによれば、イスラエルと日本は常に近い関係を持っているという。日本に保存されている記録によれば、モーゼはかつて日本の第94代天皇(※1)の命を受け、ユダヤの王としての立場で日本を訪れたという。茨城県にある皇祖皇太(こうそこうたい)神宮は、モーゼが十戒を刻んだ石が保存されているという。ヘブライ語は日本の天皇からユダヤ人への贈り物だという。この神社が所有する文献(竹内文献)によると、イエスキリストは18歳の時に日本へ来て苦行を行ったという。23歳の時、垂仁(すいにん)天皇(※2)から王の印をもらい、自分の国へ帰っていったという。その神社にある絵には、3つの菊の御紋が正面に刺繍されたローブを身にまとうイエスが描かれている。一旦イスラエルに戻り、イエスはトラブルに巻き込まれ、磔にあうところをかろうじて逃れた。彼の弟が代わりに処刑された。このきわどい逃避行の後、イエスは日本に帰り、118歳で死んだ。マリアとヨセフの骨からイエスが作った像が、その神社に今でも保管されているという。

(※1) 竹内文献は、戦前の日本政府が持っていた皇国史観とは部分的に異なる歴史観を持っている。皇祖皇太神宮のHPによると、モーゼが日本に来たのは不合朝六十九代 神足別豊(かんたるわけとよすき)天皇の御代だと言う。
(※2) 垂仁天皇の在位期間:紀元前29年−西暦70年
(注:皇祖皇太(こうそこうたい)神宮 http://www.kousokoutaijingu.or.jp/ モーゼの十戒石などの遺物があるとされている神社。かの有名な贋書「竹内文献」の公開者である竹内巨麿(きょまろ)によって立教された天津教の中心的神社。竹内氏は、何人ものオカルティスト、神秘主義者の妄想を取り入れつつ、竹内文献を創作していったとみられている。さらに、モーセの十戒石や、青森県戸来村のイエスキリストの墓などをも偽造していったと見られる。岡田良一氏もこの『竹内文献』を真光の教義に取り入れた。竹内文献による天皇家の歴史は、戦前の日本政府が持つ皇国史観と矛盾する点があったため、政府の弾圧を受け(天津教事件)、竹内文献は特高警察に押収され、東京大空襲で焼失した。)
------------- 「竹内文献」に関する資料 ----- 
竹内文献が語るSF的創世神話 http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/text3.htm
近代日本における「偽史」の系譜 http://village.infoweb.ne.jp/~fwjf1899/tondemo/gishi.html
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岡田光玉氏はまた、もともとのヘブライ人は枝(えだ)と呼ばれる人々であり、その言葉からユダヤという言葉ができたのだという。イスラエルという言葉は、五十鈴(いすず)のなまったものだという。五十鈴とは、日本の三重県にある伊勢神宮の中を通って流れている神聖な川の名前である。かつて、何人かのユダヤ人が日本に戻ってきたとき、日本の指導者たちは彼等がその地方の居住者と結婚するのを禁じたという。特に徳川家は、もしユダヤ帝国が日本で力を持ち始めたら、将軍家の権威が揺さぶられると恐れた。この政治的な差別が、日本の差別を受ける人々、●●の起源であるという。
(注:●●は差別用語なので伏せてあります。)

古代日本による統治の下で、ムー帝国は栄えた。神社の記録によれば、モーゼやイエス、またモハメッド、孔子、孟子、老子、そしてブッダなどあらゆる人物が日本を訪れたという。例えばブッダは、52歳で日本を訪れ、ス神に教え導かれたという。ブッダの教えを理解するためには、それ故、最初に日本のかんながらの道(すなわち神道)をマスターしなければならないという。(注: 同じようなことが、皇祖皇太神宮のHPに詳しく書いてあります。)





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