2013年09月01日(日) |
次世代のトレーサビリティ |
大学生協で働くKさんと、子どもの夏祭りで久しぶりの会話。
Kさんは、単身赴任で東京大学に勤務しているのである。 かくして、最高学府の学生について談義。
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長野の地方国立大学の学生とは、あらゆる部分で違う、とKさん。 どんなに優秀なの?と問えば、公共性がない、とのぼやき。
Kさんいわく、設定された場でのパフォーマンスは最高に優秀。
けれど、関係性のない場に身をおくと、この上なく傍若無人である、と。 挨拶なし、ゴミはポイ捨て、順番を守らない。自分さえよければよい。
なんだか小学生のようである。
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Kさんがぼやくような東大生だけではないし、 傍若無人な若者は本郷以外にもわんさかいる。
そう思おうとしても、この話に固執してしまう。
それは、「自分は将来日本のリーダーとなる集団の中にいる」という自覚をもつ、 傍若無人な利口者がいる、というのが、とても心配だからだ。
現役世代の政治や官僚世界の傍若無人が、 既に次世代に引き継がれている。
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国家公務員制度というのは、入口はフェアな仕組みだ。 政治家のように、世襲が妙なアドバンテージをもつこともない。 公務員試験という、純粋な能力勝負で臨むことができる。 ○○局長寄りだから採用などということはないのである。
けれども、国や地域の将来を左右する大きな権限をもち、政策判断を行うような人間のよりどころが、「学歴」や「採用試験」だけでは、国民として最早、心もとないのである。
今の見通し不安定な時代にあってはなおさらだ。
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価値観やライフスタイルが多様化した現代において、 人の素性を見抜くには、学歴より生育歴が大事だ。私は、そう思う。
それにもしかすると、人を見る、というのは元来そういうことなのかもしれない。
スポーツ選手だって、芸術家だって、名を成した人については、 そのようにトピックスを立てるではないか。
人物に関するノンフィクションだって、親はどんな人物かとか、 少年時代はどんな暮らしだったか、から始まるではないか。
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親はどのような人物か。 子どもにどのように関心をもっていたか、あるいは持っていなかったか。
地域コミュニティはどのようなものだったか。 どのような子どもの集団と大人の集団の中で育ったか。
自然とのかかわりをもつ機会があったか。
どのような食べ物を誰と食べてきたか。ーブリア・サヴァランだって言っているー
成長に応じた睡眠時間を確保したか。
芸術文化に接する機会、身体能力を発揮する機会とその頻度。
情報メディアとどのように接触してきたか。
どのような、主体的で直接的な経験をしてきたか。
生育において不遇な要素があった場合、どのようにそれを克服してきたか。
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以上のような指標を、既にOECDは明らかにしている。
というのは嘘だが、能力以外にこのぐらいは教えてもらわないと、 大きな公的権限をもってよい人物かどうか判断できない、と思うんである。
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