申し分のない夏空の下、山へ。 今日は、お外のお仕事である。
一月のあいだ来ないうちに、山は枝葉が茂って 同じ場所とは思えないほどである。 変わらないのは、熊や鹿がほんの少しむこうで息を潜めている気配。
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帰りに、山の家へ寄る。 父がやめてしまった畑は、雑草の群落となっている。
冷たい家の中へあがり、コップに水をくんで飲む。 エディット・ピアフのCDをかけて、ぼんやり板の間に横になる。
彼らはもうほとんどここへは来ないだろう。 今までここで過ごしてきたことは、これ以上継続されないのだ。
いったん終わりと区切りをされた場所へ、次の時間を継ぎ足すにせよしないにせよ、 世代間の引継ぎというのはしんどい作業である。
私は父みたいに上手くやれない。畑もなにもかも。 いい年をして何も身についていないから、今になって慌てている。
生きている時間や場面というのは、はかなくてかりそめなくせに、 ときどき永遠であるかのように幻惑されるから嫌だ。
2005年07月24日(日) 2004年07月24日(土) メモリがいっぱいです
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