浅間日記

2004年08月16日(月) 戦没ということ

終戦記念の行事。
ラジオで流れる天皇陛下のお言葉
「戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い」のくだりで、
Hがぼそっと「戦争行ってるじゃないか」とつぶやく。



戦死者を語る場合、
整理しておかなければいけない二つの立場があり、
それは、戦争に行かせたものと、行かされたものである。

政治家や官僚という、職務上、戦争に行かせたものの延長線にある人は、
ここのところをわきまえるべきではないかと思う。
市井の人々の無念と悲しみを前に、
ただ頭を垂れ死者の声を聞いて欲しいと思う。
先の大戦で損害と苦痛を与えられたのは、
この国の国民だってそうなのである。

だから、ただでさえ、イラクに自衛隊を派遣している小泉政権などは、
先の戦争で人々が死んでしまった悲しみを、
一般国民と決してシェアしてはいけないのである。

それなのに、「祖国を思い家族を案じつつ戦場に散り」などと
戦没者に対して筋違いのセンチメンタリズムに酔いしれている。
首相の演説に言いようのない不快感を抱いた理由が、これである。

この人には「護国の道具として国民を使う、そういうリーダーになってみたい」
という願望があるのではないかと思わせる。



戦没者達は、みじめな、無念の死であり、
死にたくない、という叫びの中で、
国策によって紙くずのように命を使われた。
やりたくもない殺戮を、恐怖のなかで強いられた。
家族は、本当はかけがえのない大切な人を、
よくわからない戦争のためなどに、失いたくはなかった。

戦争で命を落とすことのリアリティは、これではないのか。
だからこそ、「もう二度と嫌だ」と思うのではないか。

そういう遺族や国民の心と口をふさぎ、
この国の戦後を支えた英霊だ英霊だと祭り上げる気味悪さ。


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