終戦記念の行事。 ラジオで流れる天皇陛下のお言葉 「戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い」のくだりで、 Hがぼそっと「戦争行ってるじゃないか」とつぶやく。
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戦死者を語る場合、 整理しておかなければいけない二つの立場があり、 それは、戦争に行かせたものと、行かされたものである。
政治家や官僚という、職務上、戦争に行かせたものの延長線にある人は、 ここのところをわきまえるべきではないかと思う。 市井の人々の無念と悲しみを前に、 ただ頭を垂れ死者の声を聞いて欲しいと思う。 先の大戦で損害と苦痛を与えられたのは、 この国の国民だってそうなのである。
だから、ただでさえ、イラクに自衛隊を派遣している小泉政権などは、 先の戦争で人々が死んでしまった悲しみを、 一般国民と決してシェアしてはいけないのである。
それなのに、「祖国を思い家族を案じつつ戦場に散り」などと 戦没者に対して筋違いのセンチメンタリズムに酔いしれている。 首相の演説に言いようのない不快感を抱いた理由が、これである。
この人には「護国の道具として国民を使う、そういうリーダーになってみたい」 という願望があるのではないかと思わせる。
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戦没者達は、みじめな、無念の死であり、 死にたくない、という叫びの中で、 国策によって紙くずのように命を使われた。 やりたくもない殺戮を、恐怖のなかで強いられた。 家族は、本当はかけがえのない大切な人を、 よくわからない戦争のためなどに、失いたくはなかった。
戦争で命を落とすことのリアリティは、これではないのか。 だからこそ、「もう二度と嫌だ」と思うのではないか。
そういう遺族や国民の心と口をふさぎ、 この国の戦後を支えた英霊だ英霊だと祭り上げる気味悪さ。
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