浅間日記

2004年08月04日(水) 家なき子

「川島芳子獄中記」を、何となく読む。
映画「ラストエンペラー」で、
皇帝溥儀の奥さんを阿片中毒にさせていた人だ。

ここは川島芳子が女学校時代を過ごした場所なのであるが、
清朝王家のお姫様であり、日本の金持ちの養女であり、
東京という都会からやってきたシティガールであり、
あらゆる面で、何一つ、自分達との接点がないこの川島芳子という人を、
この土地はもちろん受付けなかった。
休学後の復学拒否と言う形で放校されたのである。

そういう土地の人が、
後にこの人物の記念的出版物をつくったり、
記念碑を建てたりすることの滑稽さ。

話はとぶけれど「ヤンキー母校へ帰る」の義家センセイも、
故郷である信州と肉親から、追い出された人である。
だから長野県教育委員会は、この人を
絶対に講演会になど招聘できない立場なんである。

別に「後に有名になったり立派なことをした人の過去」や、
山国故の、信州人がもつ偏狭さのことを問題にしているのではない。
「自分達と違う」という理由で、
所詮ちっぽけなコミュニティから多勢に無勢で人を排除するというのは、
動物的で原始的な衝動なのかもしれないけれど、
それだけに、なんかみっともないことだなあ、と、思うわけである。



件の獄中記は、養父である川島浪速の秘書が編集したとあるので、
本当に本人の著によるものかどうかはわからない。
だいたい川島芳子本人も、処刑されず生き延びたという説もある。
記録とはあやふやである可能性があり、そうしたことを前提に読む。

この人は性同一障害だったんじゃないか、
幼少時からその傾向があって、
だから実父が養子に出す時に、養父へ
「君に玩具を進呈しよう」などと言ったのではないか。と推測するが、
一般的には違うとされているらしい。

養父から性的な交渉を強いられたため、
あえて男装するようになった、との説もあるらしい。

しかし、やはりこの人は女性性を全うすることはなかったのではないか、
と、どうしても思う。
獄中記最後の、執拗なまでの女性性、母性賛美と、
女性性を隠すのではなくよく知り、楽しみなさい、という姿勢は、
単なるジェンダー論者には書けない気がする。

もう完璧に根拠のない思い込みであるけれど、
男でもなく女でもない、中国人でもなく日本人でもない、
そのような川島芳子のアイデンティティは、おそらくは、
王家という血筋から受け継がれる、
民衆を俯瞰する視線だけだったのではないか、と思うのである。

民衆が笑って暮らすのを見たかったがために、
やたらと日本と中国の間や女と男の間を行ったり来たりしたばかりに、
その目的が平和であることを理解できない人々によって、
この世から排除されてしまったのではないだろうか。

憶測ばかりなので、あまり真面目なものではないのだが。


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