このごろの。
DiaryINDEX|past|will
| 2002年09月17日(火) |
田中一光というひと。 |
「たて組ヨコ組」(モリサワ発行)をやっと読んだ。
田中一光(今年1月に急逝)特集である。
彼のデザインはかなり好きであるし
それに文を寄せている方々も憧れのひとばかりなので
これは、と思ってかなり前に買っていたのだった。
名前に覚えがない方のために書くと
田中一光というひとは
西武デパートの緑と青の◎の包みや
無印良品の立ち上げや「タント」という紙の開発や
Loftや雑誌「太陽」のロゴや…とあげるときりがない。
いくつかメモがわりに気になった言葉を自分のために。
―(横尾忠則さんの文から) ぼくなんか面倒臭いのでついつい四原色の 組み合わせだけでやってしまう。だから制作の場は 一光さんには見られたくない。 そんな理性的判断を導入して色を決定する一光さんにも 実にいい加減なところがあることを知った。 かなり前のことだけれでも一光さんが神戸労音のポスターを デザインしていた頃だ。 労音の事務局のTさんから直接聞いた話である。 何度校正刷りを出しても黄色が指定の色と違って 上がってくる。とうとう業を煮やした一光さんが 「きなこの黄だよ!」と電話の向こうで言ったという。 ―(勝井三雄さんの文から) 元来、グラフィックデザインには一瞬の刹那のなかに散る美がある。 建築のようにその美しさを永遠ならしめようと努力するのとは違い 一過性のいのちだからこそ意味を持つ。 ましてポスターの使命は短期間に終わる。花の美しさに似て 散らすまいとするのではない、散るからこそ待ち焦がれる 期待感ゆえに、現れ出たその一瞬に艶やかに咲き、 強烈に印象づけるのである。ポスターのデザインが完成するのは 印刷され所定の場所に掲示された時である。 「ただ花は見る人の心に珍しきが花なり」と世阿弥が言う ファーストインプレッションの鮮度こそが、そのデザインの 出来の善し悪しを決定する。
―(柏木博さんの文から)
このことは、かつてふれたことがあるのだが、 とても興味深い発言を田中はしている。 「私は『私のかたち』を持っていないのではないかと 考えることがある。もちろん狭義な『かたち』をいうのだが、 長い間のデザイナーとしての習慣がそうさせたのか、あるいは 自己を主張する厳しさが欠けていたからかもしれない。 ともかく、頑固でなかった自分が残念だが、 しかし、それがデザイナーにとって決定的に不名誉なことだとは 少しも思ったことがない。」と述べている。
―(太田徹也さんの文から)
「君の方が向いているよ」と先生はダイヤグラムへの取り組みを 僕に勧めてくれたが、田中先生の直感力は 人の資質を見抜くことにも発揮された。それを支えていたのは 自分を無にして周りを見通す済んだ眼差しである。
*
田中先生が太田先生にダイヤグラムを勧めてくれなかったら
今のわたしはいなかったと思うと なみだが でた。
|