このごろの。
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2001年09月13日(木) |
それでも何もないわたし。 |
大変なことがおこりましたね。 テレビでリアルタイムにみていて不思議な感じがしました。 痛ましいなと思っても おいしいものをたべたり会社にいったりして 何もかわらないわけです。 それでたどりついたのは やっぱりわたしはわたしで ここにいるわけだから わたしなりの生活を するしかなくて 今までだっていろんなところで いろんな大変な事件が起きているのを知らずに 生活していたわけだからそういうもんだと思ったんです。 もしかしたらいつかは わたしがそういう大変な目にあって どこかの誰かは今日のわたしのように普通の生活をしているでしょう。 だからあんまり「運転技術をもったヒトが…」とか へんにいれこんだりしないで受け止めようと思った次第。
そしたら今日の「ほぼ日刊イトイ新聞」で 糸井重里さんがかいてたのがとても気持ちがわかったので 転載します。(だめなのかなぁ。と思ってアドレスも書いておきます)
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なんとも、すごい時にアメリカに来たものだ。 不運だと考えてもしかたがないので、 できるだけ、シアトルにいてできる「ほぼ日」の仕事を やることにしようと思う。 なにができるのかは、わからないままなんだけれどね。 たくさんのメールや、他のサイトを読んでいて、 なんとなく思ったことを書いてみる。 反対の意見もあるだろうけれど、ぼくの考えだ。 冷血なわけでもないけれど、そう思われるかもしれない。 ごくふつうに日本で生活している人にとって、 この事件について「より詳しく知る」ことや、 「より当たる予言をする」ことなどは、 ほとんど意味がないのではないかと思う。 みんながみんな世界一大きなニュースについて、 眉をひそめて語り合うことはない。 悲しい出来事であるのは確かだけれど、 その世界すべてに自分は関与できないのだから、 いま何をするのがいいのか、よく考えてみよう。 魚屋は、いい魚を仕入れて売り、 タクシーは事故のないようにお客を送り届ける。 自分のこどもがぜんそくで苦しんでいたら、 すぐに病院に連れていこう。 1年生は、今日憶える漢字を憶え、 恋人は、恋をしなさい。 当事者や関係者は、 それができないから当事者なのであり、不幸なのだ。 みんながみんな当事者であるはずはないし、 誰もがジャーナリストになる必要なんかはない。 悲しみを感じられないなら、悲しまなくていいし、 悲しんでいることをことさらに言うこともない。 今日も隣人のために誠実に魚を売ろう。 今日も、愛する人にキスをしよう。
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