私が人生で初めて見た芸能人は、3日前のハンバーグでおなじみ菅原洋一ですが、私が人生でいちばん多く遭遇した(自分の意志でなく見かけた)芸能人は西城秀樹でした。
いちばん始めは小学六年生の頃 友達がスタ誕(スター誕生!)の公開収録に私を誘ってくれて、そのときゲストで颯爽と登場したのがヒデキ。 新曲のブルースカイブルーを歌う様子を、ただただ「本物のヒデキだ。ブーツはいてる。スタイルいい。歌うまいー。」と呆然と見ていた記憶があります。
ちなみに菅原洋一のときはただただ「歌がむちゃくちゃうまいなあ」と感動していた小学生でした。近くの席ではなかったので顔がやっぱりハンバーグだなあ等とは思いませんでしたけど。そしてなんでまた菅原洋一コンサートにいったのかというと、親戚のお姉さんが一人で行くのが嫌で母を誘ったものの、仕事で忙しい母は無理だったので、大人の前では聞き分けも行儀も大変良かった私が抜擢されたというわけです。はい。
そう、ヒデキはほんとうにギラギラにオーラがありました。 私は年齢的にも新御三家世代ではなかったので、ヒデキはお姉さんたちのアイドルという認識であり、歌詞も大人っぽいものが多く、恋にもアイドルにも興味がなく藤波辰巳と坂口征二と少年及び青年漫画をこよなく愛する小6女児は、ヒデキを前にしてキャー♡というよりも、ただただ本物のヒデキからほとばしるオーラと迫力ある歌声に目をまるくするだけだったのです。
青空よ心を伝えてよ 悲しみはあまりにも大きい
ってとこは 圧倒された覚えがあります。
さて、 そんな小学生も相変わらずプロレス好きのまま成長してしまい、やがて時は1985年。私はいばらに茨城県は筑波で開催された国際科学技術博覧会で仕事をしておりました。 そうです。この会場で私はヒデキを何度も何度も目撃するのです。
エキスポプラザで催されるイベントにはたくさんの芸能人がきていましたが、やはりいちばん多く登場したのは、テーマ曲である「一万光年の愛」を歌ったヒデキ。 タンクトップにヒョウ柄のロングコートをきて、やっぱりブーツを履いていたヒデキが、目の前を颯爽と駆けて会場入りするのを何度みたことでしょう。 走り抜けていくだけでギラギラと振り撒くオーラ。 エキスポプラザで多くの有名人を見たけれど、オーラがすごかったのは皇太子様(当時)と美智子様とヒデキだけです。 (ちなみに皇太子様と美智子様のオーラはギラギラじゃなく透明な光)
ヒデキ=ブーツだったのが ヒデキ=ブーツ+ヒョウ柄ロングコートになった私の1985年でした。
それから月日が流れ・・・ 旦那と結婚した翌年、車を運転していた30歳の私は、つけっぱなしだったラジオから流れてきた曲に聞き入っていました。
聞いたことがない曲。 でも懐かしい気もする。 もしかしたら昔聞いたことがあるかも。 誰の歌だろう。 声はヒデキっぽいけど・・・
それが「ラスト・シーン」でした。 この曲が発売されたのは1976年。当時10歳だった私が聞き入る歌詞じゃないので記憶にないのも当然ですが、こんなバラードもあったんだと、酸いも甘いも嚙み分けまくりの20代を過ぎた私の胸には、ぐっとくるものがあり
当時のお姉さま方の気持ちが分かったような気がした瞬間でした。
ヒデキ=ヤングマンに非ず ヒデキはバラードが極上。
次の人生もまたスターで生まれてきてください。ヒデキにはスターが似合います。
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