Dynamite徒然草
Dynamite徒然草

2008年05月18日(日) ラジオと私と昭和と平成。

今よりノイズは少なかったような気がする

私が最初に「自分専用のもの」としてもらった
そうとうお古の小さなトランジスタラジオは
横幅が18センチぐらいのコンパクトな横長の箱型
前面に二つの黒い小さなつまみと
底面には小さな1センチほどの足がついた
ナショナル「オナパナペット」(昭和38年発売)

しかも
上蓋は壊れて取れており
天板と背面はちょっと触っただけでパコッとはずれてしまう
それはまさに
壊れかけのラジオ・実物編

これを親からもらったのが小学生3〜4年生頃
だけど
こんなポロでも
手にしただけでもう嬉しくて嬉しくて
さっそく新聞のラテ欄をみて
おそるおそる小さなつまみを回して聞いた「欽ドン」
...そして土曜の夜にコソコソと聞いた「鶴光のオールナイトニッポン」w

初めて自分だけのラジオに耳を近付けて聞いたあのドキドキ感
自分で好きな番組を選んで聞いた満足感
当時の我が家にテレビは2台あったけど、それは家族のものとお客さんのもの
でも
このラジオは私だけのもの
私だけのメディア

少しずつ回さないと行き過ぎるチューニング
つまみを回しすぎたとたんに聞こえてくる怒り口調にしか聞こえない韓国語のCM
ケースが外れるたびに丸見えになる内臓
ハンダ付けされた部品が面白くて
ときどきわざとケースをボコッとはずして眺めてみたり
何か接着剤のようなものがドロッとしている感じなのが気になって
爪楊枝でいじってみたりして

このラジオが大好きでかわいくてたまらなかったあの頃


そしていつしか
我が家には真っ黒な鞄のようなラジカセが登場し
叔父さんたちのお古が兄貴に
兄貴のお古が私にとやってきて

そのラジカセで元日から聞き始めた「ビートたけしのオールナイトニッポン」
途中で寝てしまった時の為に録音するのに便利で
いつしか内臓丸出し壊れかけのラジオは棚の上に放置され
その後どうなったのか記憶さえなく
やがて私はお下がりの黒いラジカセから
自分でバイトして初めてメタリックなワインカラーのダブルカセット・ラジカセを買い

聞いてたのはいつ頃までだったか
たしかとんねるずのオールナイトニッポンの全盛期までだったか
やがて深夜放送より深夜まで飲み歩くことのほうに熱意が移り
ラジオのことなどすっかり忘れ
結婚して育児に追われ
子供の進学で佐賀に引っ越して
やたらに車で移動することが多くなってから
ふとつけたAMラジオに懐かしさを覚え

なんだろう
テレビは画面がでかくなって画質もすごくよくなって
とっても見やすくなったのに
私はテレビの前にいることよりも
ラジオの「私を縛りつけない感じ」に心地よさを感じはじめ

そうだった
ラジオを聞きながら勉強してたよなあ
ラジオを聞きながら
手紙書いてたよなあ
そんなことしてるから「ながら族」とか言われはじめたんだよなあ
とか


今になってふと思い出す
初めて耳をくっつけて聞いたあの小さなお古のラジオ


あのドキドキ感とか
親に隠れて聞いた鶴光とかたけしとか
今はネットで露骨に画像が見える世界だけど
音だけで聞くエロネタは
ただもう果てしなく想像力かきたてられまくり
笑い声を押し殺すのも楽しく


私の子供は
学校や習い事の送り迎えの車中で私がよくラジオを聴いているので
「栗田善成の!」と私が言うと
「まずはラジオで、おつかれさーん!」
と答え

「あ、そろそろ“善成の大耳小耳”の時間だね」などと言い

朝、車の中でラジオがついていないと
「あれ?今日は中村もとき、聞かないの?」と聞いてくる


ラジオは彼にとってどんなメディアになっていくんだろう


息子も近い将来
深夜に勉強しながら音楽聞いたりラジオ聞いたりするようになるのかなあとか

今はあんまりエロい深夜番組はないのかなあとか


これを書きながらも
ラジオ聞いてる私は
最近、いちばん欲しいのが
性能のいいおしゃれな携帯AMラジオという時代錯誤っぷりであります。

頑張れラジオ。
君といつまでも。


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書いてる人 : Dynamiteおかん