息子が突然 自分が三歳ぐらいの頃の話を聞きたがったので 過去の日記を読み返してみたんですが なんだかちょっと 驚きました
私の偉さに
クックックッ
あ、それと 私の短気っぷりにも
フォッフォッフォッ
それと 夫婦喧嘩の記述が結構あるのにも驚きました
いやー、テレるなぁ
ですがもう私も血気盛んな三十路を過ぎ 四十路にして平和路線を歩もうと模索しているわけなんでございますですよドロンジョ様
模索しているだけでまだ至ってはいませんけど
息子もそれなりに自分の進むべき道を考えて頑張ってるし 夫婦喧嘩は激減したし(一緒に住んでないぶん自然減) 私がいろいろ手を出すことも比較的減ってきて 今はまったり人生って感じです
きっとまた子供が思春期とかになったり 夫がどんどん高齢化していくとまたそれはそれなりに 少しは波風もたつんだろうけど
子供が小さい頃はなんであんなに必死だったんだろうと 他人事だったように読み返してみた私でした
でも必死にやってきてよかったなと 今の息子見てて思います
というわけで
「そういえば君は三歳で太鼓の達人はじめてすぐに上手になったよねー。みんなが驚いてギャラリーいっぱいになったこともあったよ。しちだのプリントも自主的に一日に100枚とか平気で取り組んでたこともあったっけ。英単語もあっというまにたくさん覚えてね。漢字も四歳になるまでに低学年の文字はほとんど読めたし、暗唱は何回か聞いただけでいろんなお話を覚えていたよねー」
すると息子
「そっか、俺、昔のほうが頭良かったっちゃない?太鼓の達人はたしかに今は難しいコースもクリアできるけどさ、勉強は英単語なんて昔ほど覚えてないし、暗唱は短い文ならいいけど長文はどうかなあ...プリントも立て続けに100枚は厳しいし...小さい頃の俺、すごいね」
「んなことないよ?昔はただ見たもの、聞いたものを素直にどんどん記憶してただけで、自分で考える能力は今のほうがもすごく優れてると思わん?プリントも三歳のころは単に簡単な問題で解き方のコツを覚えてたからテキパキと大量に処理できてただけでさ、それも大切なことだけど今はそれより上の段階にきとーとよ?たとえば長い文章問題とか自分で根気よく取り組んで考えたり、諦めずに頑張ったりできるやろ?算数パズルだって自分であれこれ考えて難しい問題も解きようやない。それは考える力がついたってことよ。頭の良さってのはただたくさん何かを覚えてるだけでなくて、考える力とか発想力がないと意味がないとよ」
「...そっかな」
「そーよ」
息子、何やらニヤついて寝息をたてはじめる。 いまだに同じ布団で寝ている息子と私ですが こうして寝付くまでにいろんな話ができるのもコミュニケーションかなと。
幾つになったら自分ひとりで寝ると言い出すんだろうなと思いながら そのときを心待ちにしつつも
もう私の励ましもアドバイスも必要としてくれなくなるだろう年頃が ひたひたと近づきつつあることを感じながら
まだ もう少しだけ かーちゃんのしゅーちゃんでいてね と
笑顔のままの寝顔に無理やりチューなんかして 私も子供離れの準備をはじめようと思ったりなんかした四十路母。
過ぎてしまえば思い出ばかりで 育児なんて そんなもんなのです。
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