私は小学校高学年の頃、 人を呪い殺すことはできないのかと考え 実験したことがありました。
・・・なんつー小学生でしょうか。
放課後、近所の神社にいき わら人形もどきをつくり その時嫌いだった人物(たしか隣のクラスの先生だったと思う)の名を書き 釘で打ち付けたりなんかしました。
私と仲の良かった友達がオカルト好きで こうしたことをよく知っており 方法を教えてくれて 友達と一緒にやりました。
その友達は、 つのだじろうの恐怖新聞だの うしろの百太郎だのといったマンガをたくさんもっていて よく私に貸してくれたので やがて こうした共通の「興味」ができたわけです。
彼女は見た目も大人びていて明るく成績もダントツによく 委員長などもすすんで引き受ける人でした。
「こっくりさん」も一度本格的にやってみたことがあります。
別の友達の家にあがりこみ 昼間は家の人が誰もいないことをいいことに ワリバシや酒なども用意し 雨戸も閉めてろうそくの炎だけでやりました。
・・・・・・・。
その顛末はおいといて 私は友達とそんなことをして遊んでいたわけです。 遊びですよ? もちろんその友達とは他の遊びもしました。
ですが そんなことを私がしていたなんて 一体誰が知るでしょう。 親も知らないでしょう。
そして 私はどうしてこんなことに興味をもち やるようになったのでしょう。
仲良しの友達が興味をもっていたからつるんでみただけでしょうか。 それもあるでしょう。
大人びた友達が教えてくれるいろんなことが 楽しくてしょうがなかったのです。 ホラーでなくてもなんでもよかった。
ではそれだけでしょうか。
んなこたーありません。
私は親が忙しくしていたので 寂しかったのです。
兄貴がいましたが歳も五歳違ううえに 私を幼児期の間世話をしてくれていた乳母役の大叔母が 私を溺愛するあまり兄貴をよく叱っていたため 兄貴は私が生まれてからずっと私が疎ましかったらしく 物心ついた頃から兄妹仲は冷ややかなものでした。
私は週末になると近所の従姉妹の家にいりびたり 一体どっちの家族なんだというくらい 休みの間はあちらの家で過ごしていました。
だからといって両親と仲が悪いわけではないのです。
私は自分の家の中でひとり 多忙な両親とは話もできず、 また話をしてもろくに聞いてもらえず 口を開けば命令しかしない一徹兄と同じ屋根の下で週末を過ごすのも面白くなく 孤独に耐えるのが嫌だったので 外に出ていっただけなのです。
ではその友達や従姉妹がいなかったら? いたとしても、もし私を受け入れてもらえなかったとしたら? 友達とケンカをして行く場所がなくなってしまったら?
私はどうなっていたでしょうか。
友達が貸してくれたマンガがホラーでなくてサスペンスだったら? バトル・ロワイアルだったら?
・・・・・・・・・・・・・・。
私は子供の頃、両親が忙しいので寂しかった。 でもそれだけでは親を恨めないように子供の脳はできているらしく 「しかたない」と受け入れるようになり だんだん心も体も「家族」から離れていった。
私はどうして欲しかったんだろう。 愛されてないわけじゃない。(と思いたい) でも時間がなくて親は私にかかわってくれない。
私はどうして欲しかったんだろう。 私はどうして欲しかったんだろう。
その考えが子供を育てている自分にもいつも覆い被さってくる。
子供の頃の私が味わったあの得体の知れない孤独を 自分の子供には絶対に味わわせまいと。
親に教えてもらうべきことを教えてもらえず 大きくなって恥をかいたあの屈辱を味わわせまいと しっかり教育をしていこうと。
孤独な子供はいつの時代にもいて 何かを起こすかもしれないなんて それは「紙一重」。
私も、そうだった。
私はあの「得たいの知れない寂しさ」を知っているからこそ それを今なら「どうすべきか」考える糧にできる。
自分が子供の頃にいつも抱きしめていた あの「得体の知れない寂しさ」を いま、 多くの子供たちが味わっているのだとしたら
・・・・・・・。
負けるな。
大人になんか、負けるな。
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