| 2002年09月20日(金) |
参観日(長文育児回想録) |
今日は久々の参観日。もちろん幼児教室の。
先生の言うこと聞いてる息子。理解して次の行動に移してる。 椅子を持ってきて並べて座ってる。 歌を歌ってる。
なんてことないこと。三歳だし。
でもあたしにはたまらない充実感と満足感。 だってこの子はとびっきりの「泣き虫、ビビリ虫」だったんだから。
おまけに以前は言葉も他の子たちよりずいぶん遅れてて、 言葉の理解も「大丈夫かなあ」と思うくらいだった。 そりゃそーだ、保健婦や一部の小児科医には「発育遅滞」呼ばわりされてたんだから。
10ヶ月健診から露骨に振り分け始められた「基準」 別に生まれた頃からこの子は婦長さんもびっくりするくらい、 ミルクを飲んでも抱いてもオムツかえても寝ても泣き続ける強烈甘えん坊だったし、 ヨソの子たちがお腹一杯になればすやすや寝てるというのに、 うちの子は何がそんなに泣きたいのか、四六時中ギャンギャン泣き続けてたし、 他の子と違うだろーことははじめっから洗礼受けてたから驚かない。
生まれたときから基準外ってことかと居直ることから始まった育児。 思い返すと我ながらよくがんばったなーと笑ってしまう。 何で泣くの?ねーしゅーちゃん・・・ 泣きながらビール飲みながら抱っこしながらロッキングチェアで問いかけても、 泣き続けるしゅーはお構いなしで泣き続けてるし。 酒が飲めてああよかった。母乳じゃなくてああよかった・・・ それだけが救いだった3年間。
どーして息子は泣き続けていたのかって? それは医者も母親の私も本人も不明(笑) あたしと夫は1日2時間以上続けて眠ることができない日々を一年以上続け、 それでも息子は泣き続けた。こんな時代、泣かずにはおれないといわんばかりに。
哺乳瓶をくわえたままで泣きべそかいて、 ハイハイしていた一歳の誕生日。 一歳でも夜泣きは一晩で10回近かった。 そのたびにカラの哺乳瓶をおしゃぶりがわりにくわえさせて泣きやませた。 公園でも広場でも遊べない子だった。 グループに慣れさせようとおもって英会話教室に入れた。 教室に入っても泣いて私にしがみついてる息子。 めげずに通わせる私。いつかきっと変わるはずと、一筋の蜘蛛の糸にしがみついて。
一歳半。 哺乳瓶がいけないかもしれないと思い、片付けてみた。 それでも続く夜泣き。一晩で10〜6回。広場で少しだけ遊べるようになった。 でもすぐに逃げて帰ってくる。泣いてばかり。 健診で言葉の遅れを保健婦に指摘される。
二歳。 夜泣きは一晩で5〜6回。二歳から入れる幼児教室のプレが始まる。 泣いてしがみついてる息子。 他の子たちは楽しそうにお遊戯しても、この子だけは泣きじゃくって抱っこをせがむ。 それでもいつかきっと変わるはずと、蜘蛛の糸から手を離さない私。 予防接種を受けるためにいった近所の小児科で言葉の遅れを指摘される。 精密検査を受けるよう紹介状をいきなり渡され、こんなものを貰う覚えはないとつっぱねると、 「このままだとこの子は障害児だ。そうなったらあなたのせいですよ!」と責められる。 「あんたみたいな医師や保健婦がそんな態度だから母親はみな不安に陥れられるんだ!」と反論する。 診察室騒然。
二歳三ヶ月。七五三の翌日。 突然人見知りが消える。教室に入るときに泣かなくなる。 お遊戯のときに泣かずにできるようになる。突然二語文が出始める。 狐につままれたような気持ちで見守る。 神様ってほんとにいるのかなあと、蜘蛛の糸をまたしっかりと握りしめる。 でも夜泣きはまだ一晩に2〜3回。 夫婦で夜泣きを交互に相手しながら、 「これが中学生になっても夜泣きしてたら考えようか」といって笑いあう。
二歳十一ヶ月。いきなり三語文がすらすらと出てくる。 これまでの片言がウソのように言葉の波が押し寄せてくる。 2匹目の狐がやってきて、鼻をつままれたような気持ちになる。
そして三歳。 誕生日の翌日から、夜泣きがピタッと治まる。 3匹目の狐につままれたような気持ちの夫婦。 夜泣きしてくれないの?と逆に寂しくなる。 いつまでも寝顔を見て3年間の夜泣き時代に懐かしさを覚える。 苦労を共にした戦友の夫と抱き合って喜ぶ。 オムツはまだ取れないまま。 これも夫と2人「中学生になってもとれなかったら考えるか」と言って笑う。
当たり前のことが皆とできるようになった息子。 笑顔で先生に「できたよっ」といって駆け寄る息子。 「おかーちゃん、みてみてっ!」といって飛びついてくる息子。
知ってる、ねえ。 あんたとあたしの上にはね、 一本の蜘蛛の糸があるんだよ。
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