| 2016年03月01日(火) |
痴呆老人遺族対JR東海訴訟の最高裁判決に思う |
徘徊ボケ老人が線路に侵入して撥ねられたために電車が止まったから賠償金払え!という裁判に対して、家族に責任無しと言う判決が出た。 最高裁判決なので、これで決定らしい。 正直、絶望した。腹が立った。裁判官は馬鹿じゃないかと思う。 温情判決として歓迎する声も多いが、アホか。裁判に温情なんていらねえよ。 だったらJR東海にも温情かけてやれよ。巫山戯んな。
そもそも、線路に侵入するのは犯罪だ。撥ねられたから可哀相という問題ではない。 自殺者についても同じだが、列車は止まるし、飛び散った死体の片付けは他の誰かがしなきゃならないのだ。 発生した損害について、鉄道各社は片っ端から遺族に賠償請求するべきだ。家族を亡くして可哀相とかそういう問題ではない。寧ろ、死に場所に選ばれて勝手に飛び込まれた鉄道会社の方が可哀相である。 非常に意地悪な見方をすれば、今回の遺族は、これで痴呆老人の介護から解放される。万々歳だ。ありがとうイーストシー!ぐらいの気持ちで、一審判決が出た時に720万円を払っても良かったのに。 それが最高裁でひっくり返されてしまった。遺族は消耗するほどに痴呆老人の面倒を見ており、転寝した隙に老人が家を抜け出して徘徊、そして電車に撥ねられたので遺族に責任は無いと、今回の裁判では判断されてしまった。 これで前例が出来た。全力を尽くした振りをしておけば、痴呆老人を抱える家族は、老人が他所で何かを仕出かしても、お目溢しされる訳である。 誰も責任を取ってくれないなら、痴呆老人に損害を与えられた側はやられ損である。泣き寝入りしか無い。 更に、痴呆老人だけでなく、知的或いは精神障害者の家族にも適用される惧れがある。今回の判例を逆手に取って、家族は責任を免れる事が出来るのだ。これは大問題である。 誰が被害者なのか。誰が加害者なのか。 そこを摩り替えてはいけない。 感情で捻じ曲げてはならないのだ。 そしてもう1つ、この判例は、線路を姥捨て山にする可能性がある。 一瞬目を離した隙に痴呆老人が勝手に徘徊して列車に轢かれたという形を作ってしまえば、介護地獄から解放される、そんな希望を一部の人々に与えた筈だ。 断言しよう、これは真似する奴が絶対出て来る。鉄道自殺が後を絶たないのと同じように。
以上の観点から、今回の最高裁判決は、到底容認する事が出来ないものである。 これは社会のためにならない。 痴呆老人の世話が大変なのはわかるが、それで支払い義務無しとしたのでは、鉄道会社の負担が大き過ぎる。 介護施設を増やせという人もいるが、介護の世界はもう限界だ。これ以上、未来ある若者が自分の世話すら出来ない生産性の無い老人の犠牲になってはならない。労力の上でも金の上でも。 もうとっくに、日本社会は本気で、安楽死や尊厳死を考えるべき段階に入っているのだ。 現実から目を背けてはならない。
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