買おうか迷っていたが、やっぱり買う決意を固めて本屋に行った時には、既に「週刊朝日」は店頭から姿を消していた。 死んだ父親や祖父の話が書いてあったらしいが、そんなの鳩山も安倍も小泉も同じどころか、本まで出版されている。勿論悪い事まで含めて、だ。 なのに何故、橋下だけがあんなに怒ったのか。 公人ならどんなプライバシーも暴かれて構わないとは思わないが、生い立ちや血筋をはっきりさせる事は、ある程度必要な気がする。 特に政治家の場合、それが有権者にとっての判断材料になるからだ。 プラスに働こうがマイナスに働こうが、それを決めるのは有権者であり、被選挙人が人権の旗の下に報道規制を求める事こそ、危険な事だと思うのだ。
橋下が朝日新聞の記者に切れるのはお門違いだし、あの会見は見ていて非常に不快であった。 新聞記者に限らず、物書きには、文章を組み立てて推敲する事には優れていても、丁々発止のやり取りは苦手という人が多いような気がする。 法廷において口八丁手八丁で依頼人を無罪にするためなら何でもやります!みたいな、特に悪徳に近い企業の担当だったような弁護士には、口先では到底敵わない。 何故! 何故そこで言い返さない! 突っ込まない! と、居並ぶ記者連中に対しても苛々が募る会見であった。 その後も、責任者は直接謝罪に来いだの、朝日は謝罪の仕方も知らないだのと怪気炎を上げる橋下市長であったが、急激にトーン・ダウン。 何でも、件の記事が載った雑誌を母親に送り付けて、直接話を聞きたいだなんて週刊朝日は鬼畜!と詰っていたけれど、あれは僕の勘違いで、週刊誌は妹が買って来た物でした、と事実誤認を認めて謝罪したのだそうで。 ツイッター上でな。
記者に訊かれても「ツイッターにある通りです」で押し通す橋下市長を見て、子供の頃に算数か数学の授業で習った、直線と直線の関係における「ねじれの位置」というのを思い出した。 平行でもないし、永遠に交わらない、次元の違う世界で謝罪するって、人としてどうなの。 本人にとっては、全て自分の発信したものであるから、どこで謝ろうが関係無いと言うのだろうが、相手が全てをチェックしているとは限らないし、違う土俵で背景の事情説明も無しに謝られても、知らない人には何のこっちゃである。 謝罪はちゃんと本人に面と向かってするのが礼儀だし、問題が起こったのと同じ土俵でするのが筋ってもんだろうよ。
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