朝鮮半島の国はかなり我々と感覚が違うという話の一例として、諺で「水に落ちた犬は棒で叩け」というのがあると聞いた事があるが、元は中国の「水に落ちた犬を打て」らしい。 そして中国では元々「水に落ちた犬を打つな」という、普通に卑怯な行為を戒める言葉だったのだという。 それが、魯迅によって「打て」に変えられ、中国共産党の粛清スローガンになったのだと、のりたまみ著「へんなことわざ」には書いてあった。 車に轢かれて瀕死の幼女を大勢が見て見ぬ振りをしたというあの事件も、魯迅の時代から続く、中国共産党が生んだ歪みなのだろうと思った。
さて、弱っているものを叩いてはいけないというのは非常に道徳的な教えだが、手を差し伸べたいと思うかどうかは、弱っている者の態度によるところが大きいのではないか。 津波の被災者達が、別の自治体に集団疎開して来た。 受け入れ先は厚意で仮設住宅傍の公民館のトイレを開放したが、まあ使い方が酷いの何のって。 散々汚しておいて、自分達では決して掃除をしない。 そしてありとあらゆる事に文句ばかり言うのだそうだ。 いやいやそれぐらい自分達で何とかしなよ、と言おうものなら、俺達は被災者なのに!酷い!と逆切れして、手が付けられない。 そんな感じで、受け入れ先は非常に困っているのだそうだ。 聞いているこっちも、なんだかなあ、という気分になる話である。 津波の被災者は気の毒だし、事実弱っているが、それが他人に迷惑をかけていいという免罪符にはならない。当然だ。 こんな事を大っぴらにしたら、中にはそうじゃない人もいるんだから、その人達に迷惑がかかるからそんな事言うもんじゃない、と窘める人もいるだろう。 でも、こういう話もあるという事は、是非知っておいて欲しい。 被災者なら無条件で同情されて我が儘も許されるなんて、決して思ってはいけないのだ。 次は自分が被災者になるかも知れない。 でも、こういう被災者にだけはなりたくない。
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