日々是迷々之記
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2006年04月04日(火) |
そこそこ楽天的な日々を |
今日は朝から花見ツーリングに行ってきた。和歌山県の密かな桜スポット根来寺である。周辺道路が大混雑で駐輪が出来ず、とりあえず写真だけ撮って帰ってきたみたいな感じだったが、とても楽しかった。食欲もばっちりあって、昼はマクドでフィレオフィッシュとマックチキンをぱくぱくと食べることができた。やっぱり普段食べられないのは、単に一人じゃごはんが食べられないだけなんだろう。
この10日くらいいろいろと考えていた。2030年には日本人の寿命は100歳くらいになるらしい。ということはあと私の人生は70年近くあるということである。それをどうやって生きるのかと考えたときに私はアタマがくらくらした。40過ぎたら派遣もやりづらいだろうし、貯金が出来るとも思わない。そんなとき頼れるものは自分自身の気持ちのありかただけだと思った。
だめだと思ったらほんとにだめなんだろうし、大丈夫だと思えば大丈夫なのだ。いろいろと世間は風当たりが冷たいわけだが、そこで私まで自分を否定してしまったら、私はどこにいるのだろう。そう思ったら自分がしっかりしないと自分はいなくなってしまう気がした。
これらの考えは、親との関係を考えたときに生まれてきた。うちの教育というのは非常に即物的だったので、実家にいたときの自分は自己否定の連続だった。デブ、バカ、ブサイク。故にがんばれ、そして誰かの尻馬に乗れというのが親の育て方だった。その中で私は自分を認めることができなかった気がする。
しかし、今になって思うがそういう生き方に意味はない。例えて言うのなら、ろくに食事もしないで栄養ドリンクを飲むようなものか。そのときだけよければの究極だ。
相変わらずわたしには親の扶養というものが課せられている。病院や親戚とのつきあいの中で私は「一般的な娘」を演じてきた。今で親が倒れてから約1年半。心を病み、薬漬けになってしまい、仕事ができなくなってしまうほどの心的ストレスを受けたのである。私の人生は残り約70年。今のままで生きていけるのか、と感じたときに私はいつか自分で生きることをあきらめてしまうだろうと思った。
ということで、私は「一般的な娘」であることをやめようと決めた。お金は出すけどそれ以上のことはしないでおこうと決めた。病院からはいろいろ言ってくる。一日に一箱ティッシュペーパーが必要なので定期的に持ってこいとかまあそんな類のことだ。「一般的な娘」としては5日おきにティッシュペーパーを持ってお見舞いに行くのが常識なんだろうが、そんなことはやめることにした。ガソリンと時間がムダだし、話すネタもない。ということで、ディスカウントストアで1ケース(60箱)購入。その場で病院に配達してもらうことにした。これで2ヶ月はティッシュ問題から解放されるはずだ。
嫌な言い方かもしれないが、親がいようが、配偶者がおろうが、自分の人生は自分でしか開いてゆけない。誰かのために生きるなんて欺瞞だと思う。結婚前、私は「親がそう言うから」という理由だけで従ってきた。が、自分で自分のためになるものを貪欲に集めてゆかなければ、他人はお膳立てなんかしてくれない。もちろん、誰かのために心を砕きたいと思うのならばそれはそれで「自分のため」になると思う。
私がくだらないと思うのは、世間体、体面、常識などにとらわれて、自分の大切な部分を殺してしまうことだ。既存の価値観と今生きている自分の気持ち。私には後者の方がよっぽど信じられる。
殺伐としすぎているのかもしれないと時折思う。超個人主義である。しかし私には友達やなんかがいて、微妙な価値観の違いがあっても楽しくつきあうことができる。そういう中ではあんまり主張せずに、有り体な言い方をすればしなやかにやっていきたいと思う。もともと声高に何かを主張するのは好きではない。だから付け込まれたりしやすいというのはあるかもしれないが。
自分を否定しない人との間のゆるい空気は嫌じゃない。どこの空気もこんな感じならいいのにな、と思う。
ともあれ、友達らと寄り集まってバイクに乗ることは、私にとっていい時間が過ごせることが分かった。集中と弛緩のバランス。移動による気分転換。雨も渋滞もエッセンスのひとつであるとすら思える。なにより友達ってすごいと思う。一緒にいても儲からないし、でも自主的に寄り集まったりするわけで。(まあ、友達関係で儲かる、儲からないと言ってること自体がくだらない価値観の中で育ったんだなと思わせるものがあるなぁ。)
今は自分を甘やかそうと思う。睡眠障害、食欲不振、ヒキコモリ。それらを直すものがあるのは外の世界だけだ。多分薬だけでは解決しない。今週末は再び和歌山、来週は茨城県、その次は四国で、GWは九州。そして引っ越して環境を変える。なんか多分私は元気になれそうな気がする。
肩肘張らずにそこそこ楽天的に生きてみようと思う。
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